忌避 − 「エホバの証人の信仰の一部」(ものみの塔1988/4/15 p.29)
by Gary Busselman

"Shunning: 'A Part of the Faith of Jehovah’s Witnesses'" by Gary Busselman Free Minds Journal. http://www.freeminds.org/buss/shunning.htm

(2002年4月22日掲載・2003年7月6日改訂)

忌避する
− 遠ざかる;周到に、または、一貫して避ける(Webster's New World Dictionary)
− 関係しない;避ける(Funk and Wagnall’s Standard Desk Dictionary)

なぜ効果があるのか

私がある決められた行動を取らなければ話し掛けないと脅す人を、なぜ私は恐れなければならないのだろうか。なぜ私は、話し掛けないことによって誰かを罰しようとするのだろうか。たまたま出会っても話し掛けようとせず、ただじろじろ見たり無視したりするグループに受け入れられようとして、なぜ人々は努力するのだろうか。忌避する人にはどんな報いがあるのだろうか。忌避される人にはどんな報いがあるのだろうか。

元エホバの証人として、私は、人と忌避し、自分も人から忌避されてきた。多くの人は、忌避したりされたりすることに魅力を感じないだろう。おそらく、ほとんど誰でもそうだと思う。エホバの証人社会での、排斥された人との忌避についてよく知らない人に、排斥の教理について説明すると、信じられないという目で見られる。

私が現役証人だった時、ある排斥された女性が小さな子どもたちをつれて木曜夜の集会に出てきたことを覚えている。集会は午後9:45ごろ終わった。その女性は、後ろにすわっているように言われ、だれにも話し掛けることができず、誰からも口をきいてもらえなかった。私たちが集会から帰るとき、この女性は、10時過ぎに、すぐ近くで車が壊れて、小さい子供連れで困っていた。私たちはものみの塔への義務を果たしてこの女性を避けた。手を差し伸べようとはしなかった。私は、その後、二度とこの女性に会うことはなかった。

忌避の脅しがなぜ私をものみの塔に縛り付けたのか、いま私にはよくわかる。あの夜、私たちは、車が壊れたあの女性を「解放」したが、一方で私たちのものみの塔への隷属はさらに強くなった。これには、二つ理由がある。

  1. 私たちは、罪に荷担することによって、互いに結び付けられた。私自身の(全然クリスチャン的でない)行いを受け入れるためには、私は、組織の他の成員たちの行いを認め、奨励し、受け入れ、大目に見なければならなかった。忌避は、私に力の幻想を与えた。力のない人間にとって、力の幻想は麻薬だ。
  2. ものみの塔の命令を守るためにどうすればいいのかについて、組織のメンバーたちが私の手本になっていた。私は、自分があの女性の立場だったらどうだろうと、一瞬考えてみた。そして、ああいう目に遭いたくないと思った。エホバの証人の両親に育てられ、7歳からものみの塔によって教え込まれた結果、私の本当の安全は、すべて、ものみの塔の手綱に縛り付けられていた。組織を離れることは、とても考えられないことだった。集会では、排斥や忌避や「エホバの組織」を離れた結果について、定期的に論じられていた。

忌避とは、私たちがかつて兄弟姉妹と呼んだ人々に店や町で出会っても、知らん顔して通りすぎることを意味する。他のエホバの証人がいるところで私が「忌避」を実行した時、私には、その行いがエホバに対する私の忠誠の証しとなるように感じられた。私は、霊的に高い基準(ある種の宗教的「優位」)にあった。私がひとりきりの時は、交わりを絶つべき人に出会っても、それほどきっぱりした態度は取れなかった。しかし、誰か他のエホバの証人に見られる可能性がある時には、私は、完璧に取るべき態度を取ってみせた。人に見られないような状況では、何か落ち着かず、目を合わせてうなずいたりしていた。

霊的虐待としての忌避

最近、ある元エホバの証人と話していて、虐待の問題が話題にのぼった。「エホバの証人と関る中で、直接的・間接的虐待、または虐待の準備でない状況があるだろうか?」という問いが話題になった。私たちは2時間ほどこのことについて語り合い、エホバの証人と関るすべての状況で、必ず実際の被害者または潜在的被害者がいる、という結論に達した。結論:エホバの証人または「母なる」組織(ものみの塔)とのいかなる接触も、神の名における虐待すなわち霊的虐待である。

現実の虐待や虐待の脅し、物理的、精神的、感情的、および言葉による虐待は、メンバーを支配する力であり、多くの元メンバーを支配する力でもある。恐れ、罪悪感、恥、憎悪、そしてのちには恨みと怒りのために、私は、汚い通りで浮浪者に囲まれたり、家から家へ歩いたりして、「ものみの塔」誌を売り続けた。

交わりを絶つことは、おそらく、人間としての私への究極的拒絶であり、もっとも残酷な精神的、感情的、心理的虐待である。私に対するエホバの証人たちによる忌避の結果は、ひどい痛みと苦痛だった。…しかし、それは、私がそれに甘んじている間しか続かないのである。

忌避は麻薬である…

…そして麻薬使用者はそれを可能にする者(イネイブラー)を必要とする。私は、人間を虐待する人や物についていくつかのことに気がついた。他の人間を虐待する者は、理由があってそうしている。物質や行動へのどんな依存でもその点は同じだ。中毒患者はその対象から何らかの「報酬」を得ている。私は、中毒の問題について調べてみた結果、興味深い結論に達した。

中毒患者は麻薬を必要とし、虐待者は犠牲者を必要とする。忌避を行なう者は心理的ゲームを演じており、ルールに従ってつきあってくれるプレイメイトを必要としている。忌避は、彼らにとって麻薬なのだ。虐待者は、虐待を行なうために、だれかの助力が必要だ。つまり、イネイブラー(犠牲者)が必要だ。犠牲者がいなければ、虐待者は虐待を続けることができない。ものみの塔の忌避の規則は、忌避する者と、その犠牲者との両方が従わなければならない。さもなければ、忌避は成立しないのである! 忌避はショーである。理想的には、それを演じるべきアリーナと、観客が必要である。

私の責任を認めること

私には、私が愛する自分自身を虐待から守る責任がある。私が愛する多くの人々や本当の友人たちに対しても、その人たちを虐待から守る責任がある。私たちは、たとえ親に対してであろうと、自分たちを守る責任がある。親への敬意、服従にも限度というものがある。親を敬うとは、求められたとき、食物、衣服、屋根を与え、非難せず、礼儀正しく言葉を交わし、求められたことに対して便宜を図ることである。親を敬うことは、どんな種類の虐待であろうと、自分自身を親の虐待の対象にすることを意味しているのではない。傷が外から見えなくとも、感情的虐待の苦痛は身体的虐待と変わらない。

忌避は、ものみの塔の主な強壮剤のひとつである。エホバの証人たちが私と忌避し、私がそれを許すなら、それによって私は彼らの規則を尊重して見せていることになる。それでは、私は彼らの悪い行いを奨励し、次にまた同じことをするのを許すことにしかならない。実質的に、私は彼らに対して(そして私自身に対して)、私がそういう仕打ちに値すると言っているようなものだ。

エホバの証人は、部分的忌避も行っている。夫婦(片方が現役証人で、もう片方が排斥または断絶した証人)は、家の中で交わりを絶つように教えられている。こういう行為を、私は受け入れることができない。明らかに、家族を引き裂く意図がある。夫婦の片方がもう片方を霊的に忌避しなければならないとしたら、エホバの証人は、どうやってその夫婦が結婚のすべての誓いを守れると思うのか? 結婚をセックスとビジネスに格下げすることなど、どうしてできるだろう? 庭や天気や10時のスポーツニュースの話だけで、夫婦がどうして幸せになれるというのか?

私は、ある日、こう考えた。私は、私が教えられてきた信条(過去と現在の信条、特に、教え込みに使われた信条。これらはおそらく私の信条の核になっている)を見直す必要がある。自分の人生を送るために持ち続けるべき原則とするのか、それともゴミとして棄てるのか、よく見て決める必要がある。まず、教えの中から原則を探そう。それから、紙に、一つ一つ書こう。そして、それらを検証しよう。最初はそれら自体を。そして、それら相互を照らし合わせて。私の場合、それらをまずものみの塔自体の基準に従って検証し、それから、私個人の基準で検証した。ふたつの基準が混じり合わないように注意した。私は、すべての原則、そう、文字通り、一つ残らずすべての原則が本当に私自身のものと言えるようになるまで、そして、それらの原則を受け入れる自分なりの理由をはっきり言えるようになるまで、この作業を行なう必要があった。ある考えを拒絶するとすれば、それはなぜなのかも理性的に説明できなければならなかった。ほとんどの問題について、私は、一つは賛成側、もう一つは反対側の、2冊の本を読む必要があった。ある問題について賛成反対の二つの見方で論じられないなら、私にはその問題がわかっていないということがわかる。教条主義と強制された画一性には、一つの側しかない。

私は、私自身に対して自分の原則を検証して確立するという義務を負っている。その原則によって生き、それに対して誠実かつ忠実であり、またはそれを変えることができる。私の人生で白黒なのは、新聞と古い映画だけだ。ものみの塔から解放された自由な思考者として、私は、常に学び続け、自分の意見を形成し続けている。そして、それは、楽しい。たくさんの論題に対する私の意見は「わからない」だし、いくつかについては「どうでもいい」。

虐待者がその行いの結果に苦しむようにさせるためには、なにも私たちが虐待し返す必要はないのだ。私がしっかりした立場に立って、それをはっきり伝えるだけでいい。ものみの塔の教理がくるくる変わるのは困ったものだし、以前のエホバの証人の友人たちや親戚たちが、お金のからんだ時だけ私にいい顔をするのにはうんざりする。最新のものみの塔の方針に追随する操り人形は私には受け入れられない。たとえ、たまたまその方針が私の好みにあうとしても。

忠誠と愛の混同

ものみの塔から人を救出することが自分の人生の焦点になり、執着になった時、私は自分にも他の誰にも役に立てないことがわかった。虐待者を非難し、彼らと関係を絶ったとき初めて、私はこれらの人々から苦しめられてきた人たちを助けることができ、自分も自由でいられるのだということがわかった。私と忌避したエホバの証人たちが私の生活に割りこみ、攻撃するのは、私が彼らにそうさせている間だけのことだ。私は、組織のリーダーから直接傷つけられたことはないが、自分の知り合いや親戚からはいつも傷つけられてきた。そして、それは、いつも、私が彼らの手の届くところに自分の身を置いていたからだ。自分を犠牲者の立場に置いておくのは無力な状況であり、私には何らかの力が必要だった。エホバの証人に対して守るべき自分の縄張りを決めて彼らを抑止することで、信じられないほど私の力は強まった。エホバの証人である義理の姉は、私が電話して「あなたがエホバの証人で私との交わりを絶っている間は、我が家では歓迎しない」と言うと、囲いの中の豚のようにキーキー言った。身体的・霊的虐待を行なう人は、誰であろうと、我が家では歓迎しない。私は、エホバの証人でない子供たちに、エホバの証人の残酷で虐待的な行いを見せるわけにはいかない。このようにして本当によかったと思っている。

もし私の幸せが、自分の息子、娘、母、父、兄弟、姉妹、その他の特別な人がものみの塔を離れるかどうかに掛かっているとしたら、自分の幸せの値打ちを低く見積もり過ぎている。他の人々、場所、あるいは物が変わらない限り、いい人生を始められないとしたら、ものみの塔のメンバーと同じくらい束縛されていることになる。組織の「公式の」管理と影響の下に戻ってしまうことになる。

私は、かつて、親類と友人を混同していた。私は、過去に私の必要を満たす意志があった人、満たすことができた人と、今現在私の必要を満たしている人々とを混同していた。カルトのメンバーと本当の人々とを混同していた。ものみの塔を去ってからしばらくの間は、私は組織のリーダーや自分の会衆のメンバーに忠誠を保ち続けていた。しかし、信頼できる資料に基づいて教理を検証し、古い出版物をよく読んだあとは、精神的にも霊的にも解放された。

私は、元メンバーとして、誰にでも話し掛けることができるということを強調したい。私の方は誰とでも話せるのだ。現役のメンバーこそ罰を受けているのだ。リーダーの命令で、私に話し掛けることができず、ものみの塔に批判的な文献を読むことができず、元証人の書いた本を読むことさえできないのは、彼らの方なのだから。

私が知っているあるエホバの証人には息子と娘がいる。二人ともエホバの証人として育てられた。娘はバプテスマを受け、息子は受けなかった。思春期になって、二人ともタバコを吸い出した。娘はバプテスマを受けていたために喫煙の罪で排斥になった。娘は引っ越して、結婚して、出産し、集会に出るのをやめてタバコを吸い続けた。父親は7年間娘に話し掛けてもいないし会ってもいない。孫娘とも話したり会ったりは一度もしていない。

息子もエホバの証人の集会に出るのをやめて、引っ越して、結婚し、子供が二人生まれた。そして、タバコも吸い続けている。しかし、バプテスマを受けてはいなかったので排斥にはなっていない。父親は息子がタバコを吸い続けているにもかかわらず、息子や二人の孫とのつき合いを続けている。

もし父親が、(タバコを吸うという)行動に対して交わりを絶つのであれば、息子と娘の両方と忌避しなければならないはずだ。息子とはつき合いを続けているのだから、私にはエホバの証人のバプテスマこそ許されない罪だと思えてならない!


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