北海道・広島会衆事件簿



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前書き

平凡社の大百科事典には、エホバの証人について述べている次のような一文がある。

「死んでも忠実を守った<証言の長>イエスのように、信者は神の証人として絶対に嘘を言わず...」

一般にエホバの証人は狂信的で閉鎖的な宗教団体として紹介されることが多いが、正直で嘘をつかないという点だけは認められてきた。

その評価を裏切らないよう大勢のエホバの証人は正直に行動し、クリスチャンとして正しい生き方を実践するよう努めている。しかし組織を指導し、監督する立場にいる幹部クラスの中には、嘘をつくことなど何とも思わない偽善的な人々がおり、組織全体の体質に大きな影響を与えている。このような実態は今回私たちが遭遇した事件によって、初めて明らかになった。

上部の腐敗のひどさは予想をはるかに越えており、偽善と組織崇拝というものみの塔協会の体質の劣悪さには私たちもショックを受けた。

当初、私たちは統治体(エホバの証人の最高指導機関)が真実を知れば、腐敗した体質を改善してくれるものと期待していた。それくらいの自浄作用はものみの塔協会にも残っているだろうと考えていた。しかし、予想はすべて外れ、期待はことごとく裏切られた。彼らは真理を愛する者ではなく、むしろ逆に、真実に敵対するものであった。

ものみの塔協会の頑なさは、ステファノに糾弾された一世紀の宗教指導者の態度に匹敵するものである。キリストを殺害した彼らに向かってステファノはこう述べた。

「かたくなで、心と耳に割礼のない人たち、あなた方はいつも聖霊に抵抗しています」(使徒7:51)

もはや、ものみの塔協会には真実を聞くことのできる心も耳もない。その首は鋼鉄、心は石のようであった。

今後の動きを見なければ最終的な判断は下せないが、今までの反応を見ると、少なくとも現時点では、偽善的な体質を改め、組織支配を止める気は、彼らにはまったくないようである。このまま進んでゆけば、やがてキリストが偽善者に対して述べた次の言葉が、ものみの塔協会にも成就することになるだろう。

「彼らは盲目の案内人なのです。それで、盲人が盲人を案内するなら、二人とも穴に落ち込むのです。(マタイ15:14)

偽善的な体質が合っているという人は今のままで良いかもしれないが、多くのエホバの証人はそうではないはずである。真実を知り、偽善か真理か、真の崇拝か組織崇拝か自らの信仰で選ぶ権利がある。

現在、ものみの塔協会はひたすら真実を覆い隠そうと努めている。おそらく今後は、ますます内部統制を強めてゆくものと予想される。エホバの証人に真実を伝えるのは非常に難しくなると思うが、この本がその点で少しでも役立てばと願っている。

さらに私たちは、本書の発行が「天の法廷に対する広島会衆の提訴である」と考えている。

ものみの塔協会は自らをエホバの証人と称しながら、偽善と組織崇拝を行って神の名を汚し続けている。成員に非常に重いくびきを課し、エホバの神性に敵対し続けている。もし神がこのような状況を許し、今後も放置しておくなら、その存在と神性が問われることになろう。

果たして本当に神はエホバなのか。エホバは天と地の主権者で、決して侮られるような方ではないということを立証するのか。

それとも、単に名目上の存在にすぎず、何ら実質のない神なのか。エホバとは統治体、ものみの塔協会の言いなりにしかならないような神なのか。

私たちはこの事件簿を天の法廷に対する提訴として発行することにより、これらの点を確かめたいと思っている。

※ できればものみの塔協会や事件の当事者たちの反論や異議を載せたいと思い、その旨を伝えてみたが、ものみの塔協会からは何の連絡もなかった。また、小熊幸弘氏は、藤原、瀬野、笹山氏等の当事者を代表してこの原稿の受け取りを拒否した。

1章 広島会衆の歩み

ものみの塔協会は地域ごとの信者の集まりを会衆と呼んでいる。現在、全世界には約52,000の会衆があり、活発な伝道活動を行っている。日本では1800以上の会衆に、約26万人ほどの人々が集っていると報告されている。

広島会衆は、1978年9月、札幌・豊平会衆から分会し、伝道者15名から成る会衆として発足した。金沢兄弟、姉妹は広島会衆設立のため、秋田県能代会衆からものみの塔協会の任命でやって来た。

その当時の広島会衆の状況は決して良いものではなかった。伝道は比較的熱心であったが、内部の霊的状態(精神状態)は荒廃していた。表では時々取り繕った笑顔、裏では不平、不満、陰口、悪口、噂話などが横行していたのである。

成員の霊性のひどさを物語る典型的な例を一つ上げよう。あるとき三人の姉妹たちの間で中傷の問題が生じた。当事者同士の話し合いでは解決できず、問題は会衆へ持ち込まれた。そこで話し合いの場が設けられたが、その集まりの中で二人の姉妹が立ちあがり、あわや掴みあいのケンカになりかねないという一幕があった。「仮にもエホバの前です。場所をわきまえなさい」という金沢兄弟の一言で、ひとまずその場は収まったのであるが。

こうした実態に驚いた金沢兄弟が他会衆の兄弟にそのことを話したところ、それくらいまだいい方だとか、札幌のほとんどの会衆がそんなもんだよと慰められ、唖然としたという。金沢兄弟が広島に来る前にいた地方では、いくらひどくともそのようなことはなかったので、常識が違うと感じたそうである。

会衆で生じる人間関係のトラブルを聞くたびに、金沢兄弟は何とかしなければと考えるようになった。やがて時期を見定めてから、集会で「今後このような陰口、悪口、噂話などを放置するようなことは絶対にしない。それでもなお、陰でそういうことを続ける人がいれば、断固として扱う」という方針を発表した。そして、陰口や悪口を言い合うことがクリスチャンとしていかにふさわしくないかを強調し続けた。

それでもすぐにはよくならなかったが、強い決意を持って臨んだ結果、かなりの成果を得ることができた。会衆の霊性は大いに改善され、人数も徐々に増えていった。

広島会衆が取ったこの方針は、ものみの塔協会の教えに基づいたものである。同協会は、人類社会の中に見られる腐敗した邪悪な精神を世の霊と呼び、それを避けるようにと指導している。

「平和と安全」の本の中には次のように述べられている。

「世の霊を表わし、人生に対して世と同じ見方を持つなら、わたしたちは神の友ではなく世の友であることになります。世の霊は「肉の業」、すなわち「淫行、汚れ、みだらな行い、偶像礼拝、心霊術の行ない、敵意、闘争、ねたみ、激発的な怒り、口論、分裂、分派、そねみ、酔酒、浮かれ騒ぎ、およびこれに類する事柄」を生み出します。聖書は、『そのような事柄を習わしにするものが神の王国を受け継ぐことはない』とはっきり述べています」(p.25)

敵意、闘争心、そねみなどの世の霊は、「王国を受け継ぐことができない」とみなされるほど重大な罪とみなされている。そのため指導の任にあたる監督(長老)には、会衆からその種の悪い精神を締め出し、成員を保護すると言う責務が課されているのである。

ところが札幌に限らずほとんどの会衆で、この種の問題は野放しになっている。ものみの塔協会はひたすら成員を増やすことに熱心で、内部の霊的状態にはそれほど関心はない。それでは指導者層は実態を知らないのかというと、決してそのようなことはない。本当は幹部クラスの監督たちが一番よく知っているのである。だからこそ取り組もうとしないのかも知れないが。

いずれにしても、ものみの塔協会は裏の真実の姿を知っているにもかかわらず、外部には霊的パラダイスは成就していると宣伝しているのである。組織の偽善的な一面はこの部分にもよく現われている。

さて、こうしたことがあってから4年後の1984年3月、支部委員パーシィ・イズラブ兄弟が北海道を訪問した。各国の支部には通常4〜7名からなる支部委員会があり、その国のすべての会衆を監督している。支部委員はときどき各地を訪問して兄弟たちと会合を持ち、必要な組織からの指示を伝える。その時は長老や開拓者の資格が取り上げられ、本当に資格に適うよう調整することが必要であるという点が強調された。

開拓者について、「私たちの奉仕の務めを果たすための組織」の本114頁には次のように述べられている。

「正規開拓者としての任命を受けるために、あなたは現在、一年に1,000時間という野外奉仕の目標を達成できる立場にいなければなりません。これは要求です。…あなたは自分が割り当てられる会衆といつでも密接な協力を保って働かなければなりません。……しっかりした道徳的生活を送り、模範的な伝道者であることを示していなければなりません」

エホバの証人の社会では奉仕者の立場として、伝道者、正規開拓者、特別開拓者、宣教者があり、開拓者以上は長老や監督と同じように一つのステータスシンボルになっている。「開拓者に非ずば人に非ず」という風潮があるくらい、開拓奉仕を促す有形無形の圧力は強い。しかしこれは逆に言えば、資格のない人が大勢開拓者になっているということでもある。組織も建前とは異なって、実際は資格云々よりも開拓者の数が多ければよいという考え方をしている。各会衆には開拓者の数を競争するような傾向があり、組織もそれを歓迎している節がある。

しかし取り決めでは一応、「会衆と密接な協力を保って働くこと、道徳的な生活を送り、模範的な伝道者であること」という資格を満たしていなければならないことになっている。イズラブ兄弟の訪問では特にその面が指摘され、開拓者としてふさわしい行状を保つよう調整することが強調されたので、この訪問のすぐ後、広島会衆では開拓者との集まりを開いた。

「本当の意味で開拓者としての資格を満たすようにという指示が組織から出されていますので、その点で各々調整を計って下さい。広島会衆としては当分の間それを見守ることにします。」

ほとんどの開拓者はそれに同意し、調整するよう努力したが、その中で問題となったのがA姉妹であった。彼女は感情の起伏が激しく、良いときと悪いときが極端であった。競争心や嫉妬心、独占欲が強く人間関係のトラブルが多いタイプであった。そのため会衆と協力して働くことが難しかったのである。

A姉妹は何度も「改善します」と約束したが、実際にそれを果たすことはなかった。そのうち1984年の9月頃になると、金沢兄弟に、「笹山兄弟のところに行くけどいいの。兄弟、本当にそうしてもいいの」と言い出すようになった。あとから分かったことであるが、支部に送った訴えの資料はこの時期から準備されていたものであった。

A姉妹の状態は一向に良くならず、ついに会衆は彼女の開拓者の資格を問題にしなければならなくなった。いろいろと紆余曲折はあったが、最終的には本人の同意を得ていったん開拓者を降りてもらうことになった。

ちょうどそのころA姉妹の件と並行して、中高生の伝道者たちの問題が持ち上がった。伝道や集会に出てはいても、心は異性、芸能人、スポーツ選手のことに奪われているという状況が明らかになったのである。中には、机の上には芸能雑誌とカセットテープ、教科書や聖書は引き出しの中という伝道者もいた。さらにデートをしているという報告が相次ぎ、会衆としてはそれらの問題を放置しておくわけにはゆかなくなった。親が子供たちの実情をよく知らないということも大きな問題であった。

ものみの塔協会は、デートは単なる娯楽や楽しみのためのものではなく、結婚生活に伴う責任を果たすことのできる人々が、結婚を前提に行うものであると教えている。会衆はそうした指針に従って若い人々を援助しようと考えた。ほとんどの子供たちはその援助を受け入れて調整したが、K姉妹の娘さんだけがそれを受け入れず、行状を改めようとはしなかった。

やがて1985年の春ぐらいになると、外部の人々から非難の声が上がるようになった。聖書を他の人に教えていながら、学校で番長グループと呼ばれるような生徒たちと付き合っているとか、近所でも不良の溜り場と見なされているような所へ出入りしている、というたぐいのものであった。いかに子供とはいえ、伝道者として神の名を担っている以上、ふさわしくない行状が報告されればそのままにして置くことはできない。また親であるK姉妹の開拓者の資格にも関ることなので、実態を調査することになった。(もっとも後で、「調べること自体、本人を傷つけるので調査したのは良くなかった」と述べた監督もいて唖然とさせられたが…)

そこでK姉妹親子を援助するための集まりを開いた。始めは二人とも報告された事実を否定していたが、最後に悪い交わりをしているということを認め、集まった全員の前で改善することを約束した。しかしこの約束は一週間後にあっさり覆されてしまった。

この一連の問題でK姉妹は開拓者の資格を失うことになった。

この時期、ものみの塔協会はイザヤ60章22節、「小さな者が千となり、小なる者が強大な国民となる」という聖句を用い、霊的に成長するようにと強調していた。その成長を遂げるために「心」の教育に重点が置かれ、ものみの塔誌にはその点に関する記事が多く載せられるようになった。

例えば1985年7月1日号の「平和を求める人々は本当に必要です」という記事には次のように述べられている。

「神の霊によって私たちの心の中に平和がはぐくまれない限り、私たちの生活に永続する真の平和はあり得ません。…平和を奪うことを習慣にしている人を駆り立てている悪意のある精神は、利己的な欲望から出ています。…会衆の調和を乱す者たちは、利己的な欲望が『自分自身の中で闘う』のを許しているので、平和を求める者になろうとしません。そして、闘争心が体内に宿るのを許します。…したがって神の平和をはねつける人は、実際には神と闘っています」(p.12、14、15)

事件の始まる直前、広島会衆は「強大な国民」を目指して、会衆の中から世の霊、悪霊的な精神を締め出し、もっと産出的な業に取り組もうとしていた。ほとんどの成員はこの方針に協力し、会衆の拡大と発展のために努力しようとしていたが、こうした流れにどうしても調和できなかったのがA、K両姉妹であった。

二人は自分たちの要求を通そうとして、羊ヶ丘会衆の笹山兄弟のところへ駆け込んだ。やがて、彼らに日本支部、本部、統治体が加わり、大きな事件に発展して行く。しかし、組織の体質などの本質的な要因を別にすると、今回の大事件も直接のきっかけは、実につまらないところにあったのである。

2章 事件の始まり

(1) 支部からの速達

1985年6月15日土曜日夕刻、事件の始まりを告げる日本支部からの速達が届いた。送られてきたのは次のような手紙であった。


ペンシルバニア州の
ものみの塔
聖書冊子協会

SC:SD1985年6月14日

北海道広島会衆

金沢司兄弟

親愛なる兄弟

協会はただ今、札幌市羊ヶ丘会衆の長老笹山喜一兄弟から一通の手紙を受け取りました。それによりますと、同兄弟は最近、出張講演で広島会衆と交わった際、会衆内の雰囲気がかなり緊張したものであることに気付き、同時に会衆内で悪霊の影響もしくは働きについてしばしば取りざたされているため、会衆の今後につき大いに心配している旨を知らせてくださいました。わたしたちはこれらの情報に基づき、広島会衆に何らかの問題が生じているとは断定できませんが、経験ある長老たちの援助が必要ではないかと判断いたしました。

それで、巡回監督である藤原武久兄弟、瀬野隆男兄弟、及び笹山喜一兄弟の三人の兄弟たちに広島会衆の援助を依頼することにいたしました。どうぞ、連絡をお受けになる時、会衆の実情を正直に知らせ、もし問題が実際に存在するとすれば、神のみ言葉の教えによって問題の解決を図っていただきたいと思います。そして、藤原兄弟からの連絡を待ち、求められた場合には他の関係者もこの集まりに出席できるよう連絡していただきたいと思います。上記の通りお知らせし、エホバの御祝福をお祈りいたします。

あなたの兄弟

Watch Tower B&T Society
OF PENNSYLVANIA

この手紙の写し:第79巡回区藤原武久兄弟


実はこのとき笹山兄弟が支部に送ったのは単なる報告だけではなかった。彼は広島会衆に対するA、K二人の姉妹の訴えを同時に送っている。すでに半年以上も前から、姉妹たちと共にその準備を始めていたらしい。それが支部の内々の指示によるものであったかどうかは分からない。ただ会衆を心配するという主旨の報告よりは、その訴えが主なものであったのは確かなことである。

この手紙は、文面を読む限りでは何ら問題がないように見える。組織が一つの会衆を心配しているという主旨のごく当然の内容なのだが、問題はその背後に隠されているものである。会衆内に緊張した雰囲気が見られるとか悪霊の影響云々というあいまいなことが理由として上げられ、そのため援助が必要だと述べているが、それは単なる表向きの理由にすぎず、実は秘められた目的があったのである。この手紙は事実上、処分のための第一ステップの始まりであった。

加えて文面には少なくとも3つの偽りがあった。

兄弟たちは手紙が届く数日前から、日本支部が何らかの行動を起こすのではないかと考え始めていた。そういうことを示す徴候が幾つかあったからである。しかし、支部の動きは兄弟たちの予想よりはるかに早かった。笹山兄弟が報告を送ったと考えられる日から速達が届くまで、わずか5日しかなかったのである。まるで報告を待っていたかのような素早さであった。

(2)会衆の対応

この当時、広島会衆の状況は報告された内容とはかなり異なっていた。兄弟たちは会衆の平和と一致のために努力しており、多くの成員もその方針を喜んでいた。会衆は活発な状態にあり、王国会館の建設にむけ、法人登録の準備、土地の買い付け、建設の具体案の検討などを進めていたのである。

しかし、このような会衆の進展に強い不満を持っていたのがA姉妹であった。姉妹は非協力的な態度を取りつづけ、ついに羊ヶ丘会衆の集会に出席するようになった。それは支部から速達が届く4日前6月11日のことである。

このような場合、組織の取り決めでは会衆の主宰監督に連絡が来ることになっている。そして両方の会衆の監督たちが協力し合って問題を解決するようにと指示されている。ところがそうした取り決めに反して、羊ヶ丘会衆からは何の連絡もなかった。そこで不審に思った兄弟たちは笹山兄弟に事情を尋ねることにした。兄弟の説明は次のようなものであった。

この説明だけでは、広島会衆に連絡してこなかった理由がよく分からなかったので6月13日、再び笹山兄弟に電話を入れた。その結果、さらに次のことが分かった。

6月14日、一人の研究生から、「A姉妹が広島会衆を支部に訴えると吹聴している」との報告が入った。笹山兄弟の不可解な言動ともつじつまがあうので、この点を直接、尋ねてみることにした。

「兄弟、実はA姉妹が広島会衆を訴えると話しているんですけど、何か聞いていませんか」
「えーー」(とまどった様子)
「そのことについて何かご存知なんですか」
「…広島会衆を訴えるとかどうかということではなく、私は広島会衆を心配しているんです」
「どんなことですか」
「会衆の中で悪霊の話が頻繁になされるとか、また長老のところに悪霊が出るというのは異常なことなんです」
「先回もお話ししたように心配するようなことはありませんけどね。兄弟はA姉妹からの情報だけで判断しているんじゃないですか。もし訴えを取り上げるとしたら会衆の実情を調べてみたほうがいいと思いますよ」
「…………」

どうやらすでに支部に訴えを送ってしまったらしい。

笹山兄弟は法的なことには人一倍詳しく、何事にも慎重な人である。普通であれば、彼が何の確認もせずに報告を送るなどということは考えられないことである。おそらく今回はその必要がなかったのであろう。なぜだろうか。支部の承認があったからに違いない。日本支部が笹山兄弟の背後にいることは、もはや確実と思われた。

それで兄弟たちは、支部からの手紙を読み終わった瞬間、「これは背教で片付ける気であろう」と直感したのである。事はすべて内密に進められており、真の動機や目的は隠されている。表面上、援助という名目を掲げ光の天使を装ってはいるが、本心は闇の中である。宗教の歴史からいって権威者がこういうスタイルを採用するときは、背教、異端で処分すると相場が決まっている。キリスト教世界で何度も繰り返されてきたパターンである。

支部には任命、監理、決定などの権限が与えられているので、その気になれば背教の基準も独自に決めることができる。なにしろ、検察官と裁判官が一緒になっているようなものだから、どんな判決でも通ることになる。判決内容は内密事項になっているので、組織内の成員を欺くのは簡単である。どう見ても広島会衆に勝ち目はなかった。

「何とかするには、まず支部を越える問題にしないとどうしようもない。そして、それを統治体に持ち込むことができれば、あるいは可能性もあるかもしれない」と兄弟たちは考えた。

このように判断する下地となったのは、5月19日、日本を訪れた統治体の成員A・D・シュローダー兄弟の講演であった。その時彼は、イザヤ32:1を引用し、「王イエスは義を引き上げるためにその支配を進めておられる。それゆえ監督たちは公正に特別の注意を払うべきである」と述べた。その聖句にはこう記されている。

「見よ、ひとりの王が義のために治める。君たちは、まさに公正のために支配する」

そうであるとすれば、公正に特別の注意を払わない監督たちは君としての資格がないということになる。また義を引き上げるための主要な器は「ものみの塔」誌なので、その義の規準に反対することは王イエスと戦うことを意味する。そこで協議を重ねた結果、兄弟たちは真実と公正、それにものみの塔誌に載せられている義の規準を根本方針にしようと決定した。

統治体ならば神の義に従って問題を扱ってくれるであろうと兄弟たちは期待したのである。

そのためまず日本支部の出方を見ることにして、次の三通の手紙を連続して支部に送った。真実と公正を擁護する気があるかどうかを確かめようと思ったのである。支部の体質からして、藤原兄弟の連絡を待たずに直接手紙を出せば反抗とみなすであろうことが予想された。しかし、あえて兄弟たちは支部に手紙を出すことにした。


1985年6月15日広島会衆

親愛なる兄弟たちへ

大きな問題が発生している中、兄弟たちに心配して頂けるのは嬉しく思います。

6月14日付の手紙を受け取りましたが、正直に申しまして意外な気持ちと驚きを持って文面を読みました。

確かに広島会衆で何らかの問題がなかったわけではありません。兄弟たちもお気付きと思いますが、会衆では二人の姉妹に関して開拓奉仕を離れるという件を扱いました。二人の姉妹は共に自分から資格がないと思うと言い、離れることに自ら同意しました。しかし、心の中では、本当に同意はしていないと判断しています。それで何度か援助も試みましたが、最終的に、「正規開拓奉仕中止に関する通知」を行ったのは、それなりの理由があります。それは会衆内のかなりの人々に明らかになり、動揺を引き起こした問題です。(必要であればいつでも情報をお知らせできます)付け加えれば、その問題を理由に削除の推薦を考慮しなかったのは開拓者の資格を向上させるという最近の協会の提案に基づき、本当に資格を得られるように助けるという事柄を基本に考えてきたからです。

これ以外には私には特別思いあたるふしがありませんので兄弟たちと話し合ってみました。

その結果、以下の結論に達しましたのでお知らせしたいと思います。兄弟たちのよい判断とエホバの指導を心からお願いします。

クリスチャン愛と共に

会衆内で悪霊の影響もしくは働きについて、しばしば取りざたされているとの事ですが、実在する霊者という意味であれば、そういう事実はほとんどありません。研究生や何人かの援助している姉妹たちの間ではそういう話がなされているとは思います。しかし、1985年1月1日号のものみの塔31頁にあるような意味ではしばしば会衆で話題にしてきました。したがって笹山兄弟に意味が正確に伝わっていないのではないかと思います。

新奉仕年度を迎え、増加の実をエホバに豊かに祝福していただけるよう、兄弟たちはものみの塔誌の次のような記事の精神に従うべく努力してまいりました。

この一連の流れに従って会衆の聖化に努めてきた結果、兄弟たちは今までになく良く一致しており、喜びを感じています。また、王国会館も土地が見つかり購入できる段階になりました。エホバにふさわしい、最も良い建物を建てるよう努力しているところです。又、開拓奉仕を励ます集まりを開いた時、非常に良い反応があり、4〜5名の人が来奉仕年度から開拓奉仕を始める計画でいます。

以上のようなわけで、広島会衆の兄弟たちは手紙に指摘されている問題は広島会衆には存在しないと判断しています。

連名


1985年6月17日

親愛なる兄弟たち

神の王国と義を第一にするよういつも励ましてくださり感謝しています。笹山兄弟を通して何らかの報告が協会に送られるのではないかということは広島会衆でも考慮していましたので、そのこと自体は別に驚きではありませんでしたが、内容は実に不思議なものでした。その理由についてはすでに一部述べさせていただきましたが、もう少し兄弟たちに知っていただきたいことがあります。

A姉妹について

つい最近開拓奉仕を離れた姉妹です。今回の問題の発端はA姉妹の援助している研究生(現在はT姉妹)から明らかになった事に起因します。幾人かの姉妹たちから、最近Tさんの表情が暗くて元気がない、何か問題があるのではないか、との知らせを受け、書籍研究の司会者に扱うよう指示しました。その結果A姉妹は秋の巡回大会の実演に登場した消極姉妹(陰口、悪口を言って他の人の信仰を破壊しようとする人)と同類の事柄を行なっていることが明らかになりました。私たちもそのような傾向には以前から気付いており、姉妹とは何度か話し合っていました。その時は、特に開拓者として会衆に協力し、新しい人々を援助してゆくことを私たちに約束し、努力すると言っていましたので今度こそは心から改善するよう頑張ってくれるのではないかと期待していただけに、非常に残念なことでした。

その他の幾つかの事情があり、5月に姉妹と開拓者の資格について話し合いましたが、もう少し機会を与えたいと思い、6月まで待つことにしました。しかし、ほとんど改善は見られず、本人も同意しましたので協会に通知を送りました。ところがすぐに会衆内の何人かの人々に、自分は開拓者を降ろされたと言い張り、批判的な行動を開始しました。ついには姉妹の交わっている書籍研究の集会がかき乱されるに至りました。それで私たちは会衆の動揺を防ぎ、清さを守るために、態度を改めて集会に来るよう指示しました。それに対し、A姉妹は笹山兄弟のいる羊ヶ丘会衆と交わるようになりました。A姉妹が何をどのように兄弟に話したか私たちには詳しいことは分かりませんが、今回の報告のゆく直接のきっかけになっているものと思われます。

K姉妹について

K姉妹の高校3年生の伝道者の子供と同じ学校に通っている研究生、及び会衆に交わっている研究生の子供より、エホバの証人で不良グループと付き合っている人がいるとの声が上がり、尋ねた結果、それはK姉妹の子供であることが分かりました。そこでK姉妹に問い合わせましたが、子供はそのようなことはないと言っている、との報告でした。それでさらに何人かの人々に聞いたところ、最初に上がった声の通りであることが判明しました。(必要であればその証拠をお知らせできます。)K姉妹は、悪い交わりに関する認識が大きくズレていましたのでその点を教えながら援助しました。私たちの観察ではエホバとの関係だけでなく、純粋に道徳的にみても大いに問題となる交わりだったと判断しています。その後、K姉妹も娘さんも共に、悪い交わりであるとは考えていないと述べています。K姉妹の子供はA姉妹と一緒に羊ヶ丘会衆に交わり始め、姉妹も何度か出席しているようです。この件については、笹山兄弟と初めから連絡を取り合っていたと聞いています。

6月2日、笹山兄弟は「家族間のまた、神との意志の疎通」の題で講演して下さいましたが、実際的でとても励まされるお話でした。会衆の成員たちも兄弟の話にとても感謝していました。私たちは全体的にみて築き上げる平和的な集会だったと考えています。もっとも神の義の戦いによる緊張感ならば大いにあったと思いますが、不和や争いによる緊張感ならまったく存在しなかったと思います。笹山兄弟があの集会を手紙の文面のように見ていたとはまったく信じ難いことです。私たちには笹山兄弟の極めて主観的観察であるとしか考えようがありません。さらに付け加えると、協会からの手紙をいただく前に笹山兄弟と連絡を取り、二人の姉妹たちとも話し合った結果次のように判断しています。

K姉妹は、娘さんのことしか笹山兄弟とは話していない、と述べていますので情報は主にA姉妹から得たようです。私たちには何の問い合わせもなく、事実かどうかの確認もありませんでした。笹山兄弟自身も一方の側からの情報しか得ていないと述べています。A姉妹は突然泣いたり、笑ったり、怒ったりなど情緒が不安定な姉妹です。

このような形で協会に報告するということはあまりにも片手落ちではないでしょうか。とは言っても、何も私たちは自分たちの扱いが間違っていなかったとか、援助は必要ではないということを言おうとしているのではありません。必ずしも必要でないことのために、忙しい兄弟たちの時間と労力を奪うのは心苦しく思うからです。

私たちは、二人の姉妹とも笹山兄弟の援助を得て、広島会衆と協力し立ち直るよう援助して下さるものと信頼して見ておりました。しかし、笹山兄弟がこのように扱われたのには驚きを禁じ得ません。現段階でも適切に扱えばすぐに処理できる問題だと思います。そのように聖書的に統治体の精神にのっとり、速やかに扱われないとすれば、率直に言って広島会衆の増加の大きな妨げであると感じています。

以上、兄弟たちにお知らせし、エホバの指導と祝福を心からお祈りします。

クリスチャン愛と共に


1985年6月18日

親愛なる兄弟たち

近づく大会の準備に忙しい中、ご心配をかけ大変申し訳なく思います。兄弟たちのお気遣いには心から感謝しています。私たちは、今回の件は、長老団同士が協力して事に当たればそれで済む問題と考えていました。今でも、できればそうしたいと思っています。笹山兄弟のおっしゃる援助とはどうもそういう意味合いではないように受け取れますが、援助をしてくださるというのであれば喜んで受け入れたいと思います。ただ、できましたら、私たちの願いも一つ聞いていただけないでしょうか。そうして下されば本当に幸いです。その願いと言うのは指定されました援助の三人の兄弟たちを可能であれば全員、それが無理でしたら少なくとも瀬野兄弟と笹山兄弟のお二人は他の方々に変えていただきたいということです。

以下は簡単ですが、お願いの理由です。

笹山兄弟

笹山姉妹はA姉妹の研究司会者です。

この件については、尋ねようと思えば、あるいは問い合わせようと考えれば幾らでもできたと思いますが、協会から手紙を受け取る以前に正式な連絡は一度もありませんでした。笹山兄弟は広島会衆の扱い方で疑問に思う旨を話して下さり、私たちも理解していただきたく連絡をとりました。兄弟は、「分かった」と述べて下さいましたが、何の調整もなされませんでした。また今回の連絡の中で、もちろん謙遜か冗談でおっしゃったのだと思いますが、「私は反抗的な霊とは理解できない」と述べておられます。私たちが最も苦しみ苦慮したものの一つはA姉妹の反抗的な精神です。

瀬野兄弟

瀬野兄弟は「広島会衆はもてなしの精神が不足している」と毎回のように強調して下さいました。いくらか改善されているとは述べて下さいましたが、先回も不満足だったようです。研究生を加えた食事の交わりで、もてなしに対する不満を口にされ、あわててしまった、と或る姉妹が述べておりました。また宿舎を提供した兄弟は、少しもてなそうと努めたところ、奉仕の僕よりずっとましだ、と言われ驚いたと語っていました。兄弟は集会が終了したら、会衆の成員が列を作ってお礼に来ることを求められ、広島以外の他の会衆ではほとんど行っていると話されました。確かにもてなしの精神は大いに必要であり貴重なものだと私たちも思いますが、このようになりますと一体誰の栄光を求めているのだろうか、集会や奉仕は、まず誰を賛美するためのものだろうかと考えざるを得ません。さらに、今春の大会の自発奉仕で、広島会衆は大会前日、会場の清掃を行いました。ステージを掃除していたとき、瀬野兄弟がニコニコしながら近づいてきました。ところが、全員広島会衆の兄弟姉妹であることが分かると顔をそむけて別の方へ行ってしまいました。瀬野兄弟に確認したわけではありませんが、兄弟姉妹たちは、「広島会衆に瀬野兄弟が個人的な反感を抱いているのではないかと感じた」と述べています。

藤原兄弟

K姉妹によると、K姉妹は藤原兄弟か姉妹の(はっきり分かりませんが)研究生だったことがあるとのことです。

笹山兄弟から6月17日午前10時に羊ヶ丘の王国会館に来るようにとの連絡を受け取りましたが、協会の判断を仰ぎたく、待っていただく事にしました。この連絡から判断しますと、集まりは単に援助のためのものではなく聴問の性質を帯びたもののように受け取れます。加えて笹山兄弟からは、並々ならぬ霊を感じて仕方がありません。広島会衆を心配しているだけとはとても思えない雰囲気が伝わってきます。一連の流れを見てみると、背後に何か不穏なものがあるように考えられるのは、私たちの思い過ごしでしょうか。そう思いますのも、私たちには立場も権威も何もなく無力に等しいからです。

兄弟たちに是非とも知っていただきたいのは、私たちは心からものみの塔誌を通して示されるエホバの預言の戦いを押し進めてきたらこのような進展になってしまい、まだ現実とは思えないくらい驚いているというのが私たちの偽らぬ率直な気持ちです。それで、もし、今回の集まりが審理を含んでいるのであれば、王の支配71年目の引き上げられた義の規準で扱われるよう、私たちは切に、心から希望します。協会に多大のご迷惑をおかけするかもしれませんが、私たちの願いを聞いていただければ幸いです。

エホバ神の過分の親切を心からお祈りします。

クリスチャン愛と共に
北海道広島会衆

3章 事件の背景

(1) 事件のきっかけ

姉妹たちが長老に関する訴えを直接支部に送った場合、通常であれば、その手紙は巡回監督に送り返され、巡回監督がその問題を扱うことになっている。(巡回監督とは約20位の会衆を監督している兄弟のことである)

しかし今回の場合は、初めから都市の監督と巡回監督が承認して直接支部に訴えを送っている。こういうことは、支部の指示がなければあり得ないことなので、最初から支部が事件に介入していたと考えられる。つまり事件を起こす、より大きな動機は日本支部の方にあったと判断せざるをえないのである。

いったい何故このような事件を起こしたのか、なぜ一つの会衆を犠牲にするようなことまでしなければならなかったのか、いろいろな理由が考えられるが、正確なところは私たちにもまだよく分からない。できれば詳しい事情は支部に聞いてみたい。

1985年8月初旬、東京世田谷会衆の長谷川兄弟から加藤姉妹宅へ電話があった。それによると金沢兄弟は、3年程前から目をつけられており、内々に調査が進められていたということであった。3年前というと、金沢兄弟には次のこと位しか思い当たることがないらしい。

1982年3月、金沢兄弟は神奈川県海老名市にある日本支部を見学した。ものみの塔協会は法人団体として独自の印刷施設を持っており、事務棟、工場、そこで働く人々のための宿舎を総称してべテルと呼んでいる。その時友人の大越兄弟の世話で、べテルの昼食会に招待された。大食堂で偶然となりに腰掛けたのは織田信次兄弟であった。

「兄弟はどちらの方からおいでになりましたか」
「北海道の広島からです」
「北海道の出身ですか」
「いいえ任命で広島に行きました」
「ああそうですか。じゃ特開か何かで」
「ええ、その時はそうでしたが今は降りてます。ところで兄弟はべテルでどんな奉仕をされているんですか。あっ、そういえば、聞いたらよくなかったんでしたか」
「いやーかまわないですよ。翻訳の仕事をしています」
「それはお忙しいでしょう。早く新しい聖書が出るといいですね。大変じゃないですか。用語が変わったところもありますし」
「例えばどんなところですか」
「たしか…コリント第一9章27節の“打ちたたく”が“pummel”になってましたね」
「詳しく調べているんですね。もとはどんな語でしたか」
「えーと何でしたでしょうか」
「ビート(beat)ですか」
「いや確か、単なるbeatではなかったと思いますが」(browbeatがすぐ出てこなかった)

ここで大越兄弟がしきりに目で合図を送ってきた。

「まずい、まずい」

彼の目はそう語っている。そこで話題を変えた。

「そういえば、どうやって日本語にするんだろうと思うような表現がたくさんありますものね」
「どういうところ、そう思いますか」
「やはりヨブ記ですね。あそこは本当に大変だと思いますよ。日本語訳が出るのが楽しみですね」

この後、会話は途切れた。食事が終わって皆が席を立っても、織田兄弟は座ったまま押し黙ってじっと前を見つめ、何事か考え込んでいる様子であった。

大越兄弟は部屋に戻るとすかさず言った。

「あれはまずいよ」(これくらいのことで何故「まずい」のか、おそらく外部の人には分からないであろう)
「どうして」
「彼を知らないの?べテル一の切れ者と言われているんだよ」
「誰なの」
「織田兄弟(日本支部の代表者)の弟さんだよ」
「そうか…」

大越兄弟によれば、織田信次兄弟に睨まれるとべテルにいるのは難しくなるとのことであった。

(2) 問題の手紙

長谷川兄弟の電話からもう一つ分かったことは、金沢兄弟が統治体に出した手紙が事件の原因になっているらしいということであった。これを裏付けるような幾つかの発言がある。

1985年7月11日の木曜日、藤原兄弟は金沢兄弟と話し合った際、本部からの返事を見て、「これですか。これが問題だったんですね」と語ったという。

さらに1987年3月赤平会衆の監督、石黒兄弟は押切姉妹への電話で次のように述べた。「金沢兄弟が本部に手紙を書いたのは非常に悪いことである」。

しかし、表向きはそうではない。組織の取り決めでは本部に手紙を書いても良いということになっている。たとえば、1980年の開拓奉仕学校で巡回監督の葛西兄弟は、「本部に手紙を書いて質問することもできますよ」と述べ、返事をもらった人の経験まで紹介している。

金沢兄弟はそれに励まされ1982年12月、預言と教義に関する七つの質問を統治体宛に送った。

<その中の一つ>

「ダニエル12:1の“その時”には、どのような意味があるのでしょうか」

ダニエル12:1は、次のように述べている。

「その時に、あなたの民の子らのために大いなる君ミカエルが立ち上がる。そして、国民が生じて以来その時まで起きたことのない苦難のときが必ず臨む。」

このすぐ前のダニエル11:40〜44には、北の王と南の王の最後の抗争が預言されている。ものみの塔協会はミカエルが立ち上がった年を1914年とし、北の王と南の王との最後の抗争は今後も続くと説明している。しかし“その時”という言葉が前の説を受けているとすれば、これは時間的に矛盾することになる。なぜなら、ミカエルの立ち上がる時は北の王の滅びる時であり、それは同時に大患難をも意味しているからである。だが1914年には大患難も北の王の滅亡も生じなかった。この時のズレをどのように説明するのか、知りたいと思ったのである。

この時の統治体からの返事について金沢兄弟は、

「上記のダニエル書に関しては、納得のゆく説明は得られなかったが、一見矛盾していると思えることの多くは観点や地点を変えることによって説明可能になることが示唆されており、聖書理解の視野を広げる点では大いに役立った」と述べている。

ところで、最近号の1987年7月1日号には、ダニエル書に関する最新の注解が掲載された。それによるとダニエル12章1節には「立つ」という語が2回用いられているので、イエスは1914年に立ち、さらに将来の大患難の時に立つ、という具合に説明されている。この記事が金沢兄弟の手紙を念頭に置いているかどうかは定かではないが…。

事件と関りがあると思われるので付け加えると、金沢兄弟が統治体からの返事を日本支部経由で受け取った時、封筒がすでに開けられており、その表には赤エンピツでチェックした跡が付いていたということであった。

それから間もなく、彼は日本支部に質問を送った。それはものみの塔協会発行の「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」という本の2つの点に関するものであった。

(1)p.138、16章12節には次のように述べられている。

「しかし、サタンはいつ天から追い出され、『短い時』のあいだ、地上に苦難をもたらすのでしょうか。神の王国はいつ支配を始めるのでしょうか。聖書はこれに答えを与えているでしょうか。わたしたちは聖書が答えを与えてくれると期待できるはずです。…」(下線はものみの塔協会)

p.138を見ると「神の政府が支配を始める時」という副見出しがあり、そこを読んでいくと神の支配は西暦1914年に始まったと記されている。12節の並行記述からすると、神の王国が1914年に始まったのであれば、サタンの天からの放逐も1914年に始まったことになる。そのように理解してもよいのでしょうか、というのが第一の質問であった。

(2) p.148、18章1節には次のように記されている。

「イエス・キリストが、サタンとその使いたちを天から追い出して王国支配を開始された時、それはサタンとその邪悪な体制の終りが近づいたことを意味しました。(啓示12:7‐12)」

ものみの塔協会は、イエス・キリストの王国支配とサタンが天から追い出された時間的関係を次のように説明している。イエス・キリストは1914年10月頃に天で王国支配を開始した。その最初の仕事として天の大掃除を行い、数ヶ月から遅くても1918年までには、サタンを天から追放した。この説明は、啓示12: 5‐12節の記述とも一致している。ところがp.148、1節の記述では、まずサタンが天から追い出され、その後イエスが王国支配を開始したことになってしまう。この通り受け取ってよいのだろうか、というのが2番目の質問であった。

支部からの返答はまったく期待はずれのものだった。


ペンシルバニア州の
ものみの塔
聖書冊子協会

SE:SJ1983年2月12日

北海道広島会衆

金沢司兄弟

親愛なる兄弟

あなたから、「永遠に生きる」の本の開設に関するご質問の手紙をいただきました。それによりますと、138ページ、12節にある、サタンが天から追い出された時と神の王国がその支配を開始した時期を同じ時期と取ることができるかどうかについて尋ねておられます。この章は、厳密に何年何月何日頃といった時間的な要素に注目する代わりに、むしろ神の王国の支配の開始とそれが天および地にどのような影響をもたらしたかについて、啓示の預言を解説したものでした。従って、12節で「サタンはいつ天から追い出され、短い時の間地上に苦難をもたらすのでしょうか。神の王国はいつ支配を始めるのでしょうか。聖書はこれに答えを与えているでしょうか」と質問が提起され、141ページの上段に説明されていますように、「神の天の政府の王として、キリストは西暦1914年支配を開始」したことが答えとして述べられています。従って、148ページの第1節に述べられている「イエス・キリストがサタンとその使いたちを天から追い出して王国支配を開始された時」という記述も、時間的な要素に注目したのではなく、啓示12章に記されている一連の出来事について言及したものと理解することができるでしょう。なお、啓示12章の13節および17節についての説明は、「秘儀」の本の21章の中で詳しく論じられていますので、是非お調べ下さい。なお、天の王国の成員となる第一の復活を経験する人々の時期については、その聖書的な根拠が「ものみの塔」誌1979年10月1日号の第3研究の中で解説されております。これらも共にお調べいただきたいと思います。上記の通りお答えし、エホバのご祝福をお祈りいたします。

あなたの兄弟

Watch Tower B&T Society
OF PENNSYLVANIA


この解答によれば「永遠に生きる」の本の解説は「時間的要素に注目したのではない」となっている。しかし、その本の16章12節には、「サタンはいつ天から追い出され…神の王国はいつ支配を始めるのでしょうか…」とあり「いつ」の下にアンダーラインが引かれている。

このアンダーラインは明らかに時間的要素に注目させたものである。そうでなければ引く必要がない。しかもそのあとには1914年の意味と、その重要性が強調されている。この章の主題とその流れからして、12節のこの質問の答えを1914年と考えるのはごく自然なことである。それを「時間的要素に注目したのではない」とは、答えにも何もなっていない。全くの詭弁であった。

さて本部から返事をもらって半年位たったころ、金沢兄弟はある友人から次のように言われた。

「べテルじゃ評判悪いよ。もうブラックリストにのってるんだよ。少し気をつけたら」。

さらに巡回監督をしている友人からは次のような忠告を受けた。

「支部は頭越しにやられることを一番嫌う。本部へ手紙を書くのは危ない。やめた方がいいよ。巡回監督はかなりの権限を持っているし、会衆の記録には残らない書類もある。良くないことを報告されたら、まずもう特権はこないよ」

そう言われてみると、金沢兄弟もこういう秘密の手紙にはずいぶん嫌な思いをさせられたことがあった。ある時、支部から「緊急に移動するように」という通知を受け取り、非常に驚いた。半月ほど前の巡回監督との話し合いで、健康上の理由や会衆の状況から移動する必要はないということになっていたからである。

それでまず巡回監督に直接尋ねてみたところ、「協会には早急に移動させたい事情ができたのではないかと思います。兄弟の状況や希望は良く分かりましたので、協会にそのように伝えてあげましょう」という返事であった。そこで金沢兄弟も自分の事情を伝える手紙を支部に出すことにした。

それに対する返事で事の成り行きがすべて判明した。協会の手紙には、「巡回監督は熱心に移動を勧め、緊急にそうする必要があることを知らせてきています」と記されていた。つまりその巡回監督は金沢兄弟に話した事とはまったく異なる報告を支部に送っていたのである。

普段日本支部はこのような秘密の手紙のやり取りをしているので、「手紙」に対しては異常なほど神経質になるのかも知れない。

こうした様々なものみの塔協会の問題点に気付きながらも、当時金沢兄弟は組織から出ることはまったく考えていなかった。「いつか時期が来ればものみの塔協会の体質も改善されるだろう、エホバが何とかするまでとりあえずおとなしくしていよう、じっとしていたほうが良い」と思っていたからである。

しかしその後、どうしても統治体に尋ねてみたいことがあり、1985年2月、金沢兄弟は2回目の手紙を本部に送った。今までのように日本支部経由で返事が送られてくれば、ますます睨まれることになるので、返事は求めないことにした。ものみの塔誌上で答えてくれれば最善だと考えたのである。

ところが3月下旬、予想に反して本部は返事を送ってきた。組織の取り決め通り日本支部経由で。おそらく支部が動き出す直接のきっかけとなったのは、この返事ではないかと思われる。


WATCHTOWER
BIBLE AND TRACT SOCIETY OF NEW YORK,INC CABLE WATCHTOWER

WRITING DEPARTMENT
25 COLUMBIA HEIGHTS, BROOKLYN, NEW YORK 11201 U.S.A. Phone (XXX)-XXX-XXXX

EF:ESA March 21, 1985

Mr. Tsukasa Kanazawa XXXXXXXXXXX, Hiroshima Town, Sapporo-Gun Hokkaido, Japan

Dear Brother Kanazawa:

Thank you for your kind letter of February 9, 1985. We were pleased to learn that our letter to you about two years ago was of much assistance to you in resolving the questions that had come up in your mind and heart.

As you indicate in your letter, there is a need for all of Jehovah's people to grow spiritually and to continually grow in their relationship with our heavenly Father, Jehovah. Of course, as we do, we want to continually let our love for Jehovah cause us to share extensively in preaching the "good news" and in aiding sheeplike ones to learn the way that leads to life. We rejoice with you in seeing the fine progress and increases that are being experienced in Japan, as well as in all parts of the world at this time. Jehovah is certainly blessing his people as they go forward with the work which he has for us to do.

May Jehovah continue to bless you and your dear wife as you serve him faithfully and continue to walk with his people on the roadway that leads to life in his new system of things.

Your brothers in Jehovah's service

Watchtower B&T Society
OF NEW YORK, INC.


(事件簿原典にはこの手紙の和訳は含まれておりませんが、参考までに簡単に訳します。)


ニューヨークものみの塔聖書冊子協会

1985年3月21日

金沢司様

親愛なる金沢兄弟

1985年2月9日のご親切なお手紙をありがとうございました。約2年前の私どもの手紙が、兄弟の心に浮かんだ問題の解決に大きな助けになったとのこと、喜んでおります。

兄弟のお手紙にもありますように、すべてのエホバの民は霊的に成長し、我らの天の父であるエホバとの関係において成長しつづける必要があります。もちろん、この際、私たちのエホバへの愛ゆえに、私たちがこれからもますます「良いたより」の伝道と、羊のような人々が人生を導く道を学ぶのを援助することに熱心に努めるようでありたいと思います。私たちは、現在世界中のいたるところで経験されているのと同様に日本でも経験されているすばらしい進歩と増加を見て兄弟と共に喜びます。エホバは、確かに、ご自分の民が私たちにゆだねられた働きにおいて前進するのを祝福しておられます。

エホバが、兄弟と、兄弟の奥様が、忠実にエホバに仕え、エホバの新しい体制での命に導く道をエホバの民と共に歩むことを、これからも祝福してくださいますように。

エホバの奉仕におけるあなたの兄弟

ニューヨークの
ものみの塔聖書冊子協会

4章 事件の進展

(1) 三人の援助者との会合

支部から速達が届いて二日後の6月17日、笹山兄弟から水曜日に援助のための集まりを開きたいとの連絡があった。金沢兄弟は、会合が日中のため仕事の調整などの問題があり、即答できない旨を伝えた。

すると翌日、笹山兄弟は豊平会衆の監督、桑原兄弟を伴い、集会にやって来た。笹山兄弟は兄弟たち一人一人に手紙を渡したが、目は血走り、手はかすかに震えていた。小さな子供たちでさえその異常さに気付くほどであった。


1985年6月17日
札幌市豊平区XXXXXXXXX
王国会館気付
藤原武久

親愛なる兄弟たち
(金沢司兄弟、柳村勝実兄弟、宮坂政志兄弟、押切博兄弟、飛田栄二兄弟、八幡幸司兄弟)

6月19日午前10時札幌市豊平区XXXXXXXX王国会館で会衆の事情をおききしたいと思いますので出席下さるようお知らせします。

なお仕事の都合などで上記の時間に集まることができないときは、1〜2時間おくれても出席下さるようおすすめします。また、どうしても出席できないときは笹山喜一兄弟(XXX-XXXX)にその旨お知らせ下さい。

忠誠を保つ人々の上にエホバ神の
導きがありますように。


なぜわざわざ手紙を持ってきたのであろうか。本当に援助であれば手紙で呼び出す必要はない。普通、手紙で呼び出しの証明を作るというのは、審理委員会を開くときに行う方法である。審理委員会(聴問会)とは、組織の成員が重大な罪を犯していることが確証された場合、複数の審理委員によって開かれる集まりのことである。援助以上の目的がなければ呼び出しの証明を作る必要はないので、日本支部が審理委員会の開催を目指している可能性は非常に高かった。

集会が始まってからの二人の行動も、それを匂わせるものであった。その日の講演者は金沢兄弟であったが、彼らは講演の筋書きを持ちこみ、二人で頭を突き合わせて講演をチェックしていた。いったい何を調べていたのであろうか。おそらく筋書き通り話しているかどうか調査していたと思われる。もしそうだとすると、背教の証拠を探していたことになる。

こうした徴候をみて、兄弟たちは集まりの意味を限定しようと考えた。聖書的には審理も排斥も援助になり得る。それで、援助がそのような広義の意味なのか、それとも普通でいう単なる援助なのかを確かめるため、集会後、藤原兄弟に電話を入れた。彼が電話で語ったことを要約すると、次のようになる。

審理委員会のための聴問ではないという確約を得たので、兄弟たちは羊ヶ丘会衆の王国会館に出かけた。しかし、戸を開けて中に入った瞬間、「これはおかしい、怪しい」と感じたという。兄弟たちが見たのは、すでに朝から三人で綿密に打ち合わせをしていたらしい光景であった。

テーブルのセッティングも妙であった。「どうもおかしい、これは聴問のスタイルではないか」と思いながら兄弟たちは着席した。話し合いが進むにつれ、その印象は益々強いものになっていった。実際、集まりは危惧していた通り、援助などとは程遠い取調べのためのものであった。もっとも、藤原兄弟の意識では、それでも援助しようと努めていたらしいのではあるが…

集まりの終わりの方で、金沢兄弟は笹山兄弟に尋ねた。

「どうして兄弟は何も確かめず、事実の確認もしないで報告を送ったのでしょうか。真実と異なることを公にすれば中傷になりませんか」
「あの集会に行った時そのように思ったものですから」

そのように思った…ではそのように思っただけで報告を送ったんですね、と金沢兄弟が言おうとすると、すかさず藤原兄弟が助け舟を出した。

「組織の取り決めではそうすることもあるんですよ。兄弟たちは知らないかもしれませんが、笹山兄弟は兄弟たちのことを心配したんです」

地域監督がかばうのであれば、もはや何を聞いても無駄である。

集まりの最後のハプニング。帰り際、玄関で援助者の代表者藤原兄弟、金沢兄弟に凄んで曰く、

「兄弟、これで終わりだと思わないでくださいよ」

思ったほどの成果が得られなかったせいであろう。

集まりが終わって広島に帰ってきてから。

「ちょっと見たか。あの瀬野兄弟の持ってた手紙、机の下から見えてたの」
「そうそう、『ここは扱わなくていいんですか』と聞いて『それは後で』と藤原兄弟に叱られて、小さくなっていたとこでしょ」
「睨まれてたもんねー」
「あの手紙、長くなかったか。我々に来たのよりは、なんかもう二段ぐらいあったような気がしたけど…」
「ウーン、そうだねえ。間違いないと思うよ」
「そうすると支部のあの写しというのは嘘っぱちだね。彼らの手紙には何か付け加えて書いたんだ」
「おそらくそうだよ。何を書いたかはよく分からないけれども、多分…筋書きのようなものじゃないかなあ」

後で分かったことによると、その一部には兄弟たちの長老・奉仕の僕の資格の削除を検討するようにという指示が含まれていたとのことであった。

会衆には、長老(監督)の他に、長老たちを助けて会衆の様々な業務を果たす奉仕の僕が任命されている。ものみの塔協会は、長老の資格について次のように述べている。

「クリスチャンの監督となるための聖書の規準は明らかに高度なものです。それらの人々には、エホバの崇拝において率先し、クリスチャンの行状において手本となる、という重い責任があるからです。…使徒パウロは、監督に対する聖書の基本的な要求を、テモテにあてた最初の手紙と、テトスにあてた手紙の中に記しました。テモテ第一3章1節から7節で、彼はこう書きました。『監督の職をとらえようと努めている人がいるなら、その人はりっぱな仕事を望んでいるのです。したがって、監督は、とがめられるところのない人で、一人の妻の夫であり、習慣に節度を守り、健全な思いを持ち、秩序正しく、人をよくもてなし、教える資格があり、酔って騒いだり人を殴ったりせず、道理をわきまえ、争いを好まず、金を愛する人でなく、自分の家の者をりっぱに治め、まじめさを尽くして子供を従わせている人であるべきです。また、新しく転向した人であってはなりません。…さらに、その人は外部の人々からもりっぱな証言を得ているべきです』」

一会衆の監督よりも地域監督や巡回監督にはより高い規準が求められている。彼らはこの面で模範的であることを期待されている。

(2) 会合の後

6月21日(金)

6月20日付の援助者からの手紙が届く。


1985年6月20日
札幌市豊平区XXXXXXX
王国会館気付
藤原武久、瀬野隆男、笹山喜一

親愛なる金沢司兄弟

いつも広島会衆が真の平和のうちに発展するよう努力なさっていることを知りうれしく思います。私たちもエホバの民がだれ一人離れおちることなく命の道を歩み続けるよう、ともに働きたいと願っています。

6月19日の話し合いを通じて共通の理解を深めたことを喜んでおりますが、なお二三の点について個人的におききしたいことがありました。この日は世俗の仕事などを調整されておいでになりましたので、十分の時間がなかったことはよく理解できます。それで、6月23日午後8時、札幌市豊平区XXXXXX札幌羊ヶ丘会衆の王国会館で集まりを持ちたいと思いますので出席なさるようお知らせします。

以上お知らせし、忠節なエホバの民すべての上に豊かな導きと平安がありますように。

みなさんの兄弟


それに対し、「集まりの目的、内容、性質を明らかにしていただければ出席します」との返書を送る。


1985年6月21日

親愛なる、藤原、瀬野、笹山兄弟

広島会衆の平和を心配してくださる兄弟たちのお気遣いには心より感謝しています。私たちも任命された牧者の一人として、またそれに協力する者として真の羊であれば誰一人離れ落ちてしまわないように強く願っています。ただ1984年10月15日号p.21、11節にあるように天軍が真のクリスチャンの交わりにふさわしくないと判断した人々はまったく別ですが。

6月19日の話し合いを通じて共通の理解を深めていただけたようで私たちも嬉しく思っています。あえて付け加えるなら今回の問題の真因はA、K両姉妹の不平、不満の精神にあり、兄弟たちとの個人的問題は関与していないと会衆は感じており、まさに1985年7月15日号p.22の記事で扱われているとおりです。できればこのような共通の理解も得ていただきたいと願っています。そうすればすぐにも問題は解決するものと思います。

さて、心にあることを正直に語るように藤原兄弟は励まして下さいましたので私たちの6月19日の集まりから感じた気持ちを率直に述べさせていただきたく思います。

このようなわけで、私たちはさらに兄弟たちと話し合わなければならない必然的、建設的理由を見出すことに困難を覚えています。広島会衆の平和と発展を心より願っていただけるのならそっとしておいて下さるのが一番と感じています。

6月23日の集まりの明確かつ具体的事項と目的を知らせていただければ、その後でまたご返事を差し上げたいと思います。しかし、どうしても集まりを強行されるようでしたら、私たちは重ねて協会に嘆願書を提出したいと思います。


同時に日本支部に事件の真相を知らせてほしいと言う次のような嘆願の手紙を送った。


1985年6月21日

親愛なる兄弟たち

日本でもついに10万人を越える伝道者が野外で働くようになったことを知り喜んでいます。増し加わる新しい人々を世話するため私たちも日本支部と協力して強大な国民を目指して成長してゆきたいと考えています。

6月15日に手紙を受け取って以来、様々なことがありましたが、私たちにはどうしても理解できない点が幾つか残っていますので是非とも教えていただきたく手紙を書くことに致しました。

私たちとしては事の全体が分からなければ、エホバに対する忠節な道とは何かをはっきりと見定めることができません。というのも問題となっている二人の姉妹の清めを進めてきた結果、会衆は今までになく一致し、喜びと平和の霊で満ちています。これは何よりもエホバ神の祝福であると感じています。このことは火曜日に突然、笹山、桑原両兄弟が見えられましたが、集会後に認めて下さいました。今後、どのように対応すべきかよく知ることができるように私たちの願いを聞いていただければ幸いです。より豊かな真理の光に照らされて、エホバの義がなおいっそう進むことをお祈り致します。

クリスチャン愛と共に
北海道広島会衆


この手紙に対する返事はなかった。

(3)支部からの二通目の手紙

6月22日、支部から二通目の手紙が届いた。三人の援護者の変更を願い出たことに対する返事であった。


ペンシルバニア州の
ものみの塔
聖書冊子協会

SC:SD1985年6月21日

北海道広島会衆

金沢司兄弟

親愛なる兄弟

あなたと数名の兄弟の署名の付された6月18日付のお手紙をいただきました。それによりますと、あなたと奉仕の僕を含む幾人かの兄弟たちは、協会が援助を依頼した瀬野兄弟と笹山兄弟をできればはずしてほしいと述べておられます。協会はこれまで、あなが代表するグループから三通の手紙をいただきましたが、その手紙の内容は決して健全な霊を反映するものとは思われません。

どうぞ、協会があなたあてに送った6月14日付の手紙をもう一度ご覧ください。笹山兄弟は広島会衆と直接交わる機会を持ち、ご自身で観察した事柄と信頼できる他の情報に基づき、あえて協会に知らせた方が良いのではないかと判断なさいました。通常は、こうした問題を会衆を訪問する巡回監督が扱いますが、必要に応じて円熟し経験を積んだ長老たちに協会が直接援助を依頼することがあります。上記の手紙の中で「わたしたちはこれらの情報に基づき、広島会衆に何らかの問題が生じているとは断定できませんが、経験ある長老たちの援助が必要ではないかと判断」したと記されている通りです。これらの兄弟たちは、審理委員のように行動することではなく、会衆の実情を公平に知った上で援助すべきことがあれば、そうするようにと指示されているだけです。

クリスチャンとして、豊かな経験を持つこれらの兄弟たちの援助を忌避する理由がどこにあるのでしょうか。あなたと幾人かの兄弟たちは、瀬野兄弟に関し色々な苦情を述べておられますが、なぜもっと早く当人と直接話し合うことをしなかったのでしょうか。あなたと兄弟たちのグループが巡回監督に対し、こうした見方をいだいているとすれば、7月上旬に予定されている巡回訪問から一体どのような益が得られるというのでしょうか。以上のような理由に基づき、協会は広島会衆を援助する目的で指名した三人の兄弟たちを変更することはいたしません。

これらの兄弟たちが会衆の実情を知り、もし何も問題が見当たらないのであればそれを共に喜ぶことができるのではないでしょうか。一方、もし不都合な状況が見いだされるのであれば、これら兄弟たちを通して与えられる聖書に基づく健全な見方は、みなさんが今後の忠節な歩みを全うしてゆく上で必要な調整を施してくれるものとなるでしょう。どうぞ、指名された三人の兄弟たちに惜しみない協力を示し、自分たちの義を立証することにではなく、エホバが所有しわたしたちに託しておられる神の会衆が健全な状態を保ってゆくことができるよう考え続けていただきたいと思います。上記の通りお願いし、エホバの御祝福をお祈りいたします。

皆さんの兄弟

Watch Tower B&T Society
OF PENNSYLVANIA

追伸:この手紙を署名した他の5人の兄弟たちと一緒にお読みになってください。


手紙を読み始めてすぐ、宮坂兄弟が突然大きな声で言った。

「これはやっぱりタヌキだわ」
「どうして」
「三行目のところ。ここ読んでみてよ。“あなが代表するグループ”となってて“た”が抜けてるだろう」
「ほんとだ。なんと…」
「とうとう自分の方から正体を現わしたんだ」

“た”抜きは別として、注目すべきは、“あなが代表するグループ”という表現であった。これはすでに兄弟たちを背教者とみなしている証拠と考えられた。そうでなければ“グループ”扱いになることはあり得ず、“あなたの会衆”となるはずである。この時点では、少なくとも兄弟たちは単なる“グループ”ではなく“会衆”の成員であった。手紙も“グループ”から出したのではなく、“会衆”から出したものである。図らずも支部の本心が出てしまったということであろう。

この手紙によって、兄弟たちはもはや何を嘆願しても無駄であると感じた。出した手紙の主旨や意図はまるで通じていない。支部が明確にすべき組織上の問題も単なる個人的な問題にされている。もっとも分かっていて、あえてそうしているという可能性の方が高かったのではあるが。

この返事で報告、嘆願の段階は終了した。

(4)統治体への道

6月22日、土曜日、藤原兄弟から電話があった。彼らは今回の問題を長老と開拓者の個人的なトラブルとして処理したかったようである。しかも悪霊に取り付かれ、背教した長老と組織に従おうとする姉妹たちという図式で。その証拠を集めるべく、内々で広島会衆に対する調査を行っていたがうまくゆかず、手詰まりの状態に陥っていたらしい。彼は巡回訪問のとき、「どこから手を付けたらよいか分からなかった」と当時の状況について語っている。直接電話をしてきたのは、そういう事情によるものと思われる。

藤原兄弟は、いかにも面白くなさそうな調子でこう切り出した。

「兄弟、天軍というのはおかしいじゃありませんか」
「え〜っ、どうしてですか。ものみの塔誌にそう書かれていますでしょう。それにみ使いたちの軍勢は天軍と言いませんか」
「それは、そうですが…。じゃあ兄弟たちは、あの姉妹たちが天軍によって会衆から出されたというんですか」
「別にそうだと主張しているわけではありませんが、私たちはただそういう姿勢でやってきたということです。ものみの塔誌の教えや精神に従って扱って、その結果出て行くことになったなら天軍がそう判断したということになりませんか」

<ものみの塔誌には次のように記されていた。>
「み使いたちは、だれがエホバの真の僕で、だれが偽りの僕かを識別できます。み使いたちは、ひどい不正を働く者たちが暴露されて真のクリスチャンの交わりから退けられる結果になるような状況を生じさせることが十分にできます」(1984年10月15日p.22)

「それは、そうですが…。しかし兄弟たちはもう少し愛を示すべきだったんじゃないですか。もっと誉めて励ますべきでしょう」
「そういう段階はもう終わっていると思いますが。あの姉妹たちの問題は一年や二年の問題ではありません。それに、愛を示すといっても、何でも許容していいというわけではないでしょう」
「それは、そうですが…。僕はこういうふうに言われたのは初めてですね。恣意的とはどういうことですか。兄弟たちの言い分はずいぶん聞いてあげたじゃありませんか」
「そうでしょうか。私たちはただ質問に答えただけですが」
「そうすると、兄弟たちはもう集まりには来ないということですか」
「いえ、そういうことではありません。手紙にも書きましたが、集まりの目的をはっきりしていただければ出席したいと思っています。しかし『愛』一つとってみても、意味を定義しないと話が食い違うばかりでしょう。それを一つ一つ行なっていくとなると膨大な時間がかかりますが、果たしてそこまでする必要性があるかどうか…」

彼はしきりに、「本当はやりたくない。大会の準備で忙しいので手を引きたい。協会の指示なので仕方がない」ということを強調した。また終わりの方で、「僕は今、協会に送る中間報告を書いているところですが、まだ半分しかできていないんです。残りの半分をどうしようかと考えているところですが…」と述べて、兄弟たちの態度次第では内容が変わり得ることをほのめかした。

その後少したってから、宮坂兄弟がK姉妹の偽証に関する審理について電話をしたところ、「私も地域監督ですけどねえ…。兄弟もそんな連絡なんかしていると逆に審理委員会にかけられますよ」と言われた。藤原兄弟にとって、上記の電話での話し合いはよほど不快なものであったらしい。

この藤原兄弟と金沢兄弟の話し合いで鮮明になったのは、ものみの塔誌に対する認識の相違、及び用語に関する理解の食い違いであった。典型的な例の一つは「愛」という言葉である。

広辞苑によれば、愛とは「慈しみあう心、思いやり、大切にすること」…等であり、また別の定義によれば、「誰か(何か)に対して暖かい感情をもつこと」となっている。ギリシャ語には愛を表わすアガペー(神の愛、原則に基づく愛)、フィリア(友愛)、ストルゲ(情愛)、エロス(性愛)という四つの言葉がある。アガペーは「神の定めた原則に従って誰かに暖かい感情を持ち、それを示すこと」であり、他の人の最善の益を考えるという点で最高の愛の形態とされている。

それで一口に「愛」といっても、どの愛を指すかによって意味は異なってくる。「愛」を単に、「誉めて励ます」ことに限定すれば、兄弟たちは問題の姉妹たちに対して愛を示さなかったといえるかもしれない。しかし、愛を「アガペー愛」と規定すれば、聖書の原則から外れる者を、教え、戒め、矯正しようとすることは愛の行為になり、会衆は二人に愛を示そうとしたことになる。

さて、藤原兄弟から電話があった二日後の6月24日の夜、笹山兄弟との話し合いが行われた。真実を知りたいという兄弟たちの希望に応じて開かれたものである。彼はどうも集まりには来たくなかったらしいが、後で聞いたところによると、藤原兄弟に促されてしぶしぶ出かけて来たとのことであった。一時間位すると、そそくさと帰ってしまった。

短い話し合いではあったが、この集まりの最大の意義は、問題の本質について得られた合意である。

兄弟たちは、最初から一貫して、二人の姉妹の問題はものみの塔誌の最新の義の規準に従って扱おうと努めた結果であると主張してきた。しかし笹山兄弟によれば、それは協会の方針に反するという。ものみの塔誌の最新の規準に従おうとすることが協会の方針に反するとは、どうしても信じ難いことであったので

「それでは協会に確かめてみる以外にはありませんね。返事をもらえるかどうかは分かりませんが、協会に尋ねてみたいと思います」

と金沢兄弟は申し出た。

「じゃあ、そうしてみてください」

笹山兄弟もそれを承諾した。

「あとはその裁定が出てからにしましょう」

ということで集まりは終わった。

この会合によって、『問題の本質がものみの塔誌の義の規準をどう捕らえるべきかということにある』との合意が得られたことは大きな進展であった。これを受けて、兄弟たちは統治体にものみの塔誌に関する裁定を問う下記のような手紙を送った。日本支部がものみの塔誌とは異なる方針を出してきていると判断する以上、支部に尋ねてみたところでまったく無意味なことだからである。


1985年6月25日

親愛なる統治体の兄弟たち

時宜にかなったすばらしい霊的食物を供給して下さることに心から感謝します。

…藤原、瀬野、笹山兄弟たちと話し合った結果、問題のポイントになっているのは二人の姉妹の扱い方であることがわかりました。兄弟たちは私たちの扱い方が義に先走りすぎ、愛と哀れみに欠けていると考えているようです。私たちはエホバに対する非難をすすぐこと、会衆の清さを守ることの優先順位に関する考え方が十分通じないと感じました。

結局のところ義の規準の捕らえ方、つまり言い換えれば今、どのレベルの義の規準で物事を行うべきかということが問題の根本であるという結論に共に到達しました。私たちの理解でいえば、ものみの塔誌は時宜にかなった食物なのだから、「はい、は、はい」でその通り受け取り、全力で行おうとするのがエホバのご意志だと思います。可能な限りそうしようとしたことが三人の兄弟及び日本支部の兄弟たちからの手紙(私たちは受け取っておりませんが)によれば協会の方針と異なっているとのことです。私たちのものみの塔誌の理解が間違っているということも十分あり得ますので、是非、兄弟たちにその判断と指示をお願いしたいと思います。



<その他、笹山兄弟との会合から分かったこと>

(5)支部からの第三通目の手紙

6月30日、支部から三通目の手紙が届いた。日本支部から来た公的な手紙としてはこれが最後のものとなった。

これは藤原兄弟の中間報告を受けて送られてきたものである。巡回訪問の木曜日の集会で自ら「真実の一かけらぐらいはあったでしょう。3ページも書いたのですから」と語った問題の報告書である。何を3ページも書いたのかは分からないが、協会の手紙に述べられている範囲では、やはり真実は一かけらもない。

この時期、兄弟たちは「あらかじめ仕組まれた筋書きに従って物事が進められているに違いない、彼らも真実を曲げているという意識はあるのではないか」と考えていた。

しかし後の進展からすると、どうもそうではないらしい。藤原兄弟にはそういう自覚がなかったようである。


ペンシルバニア州の
ものみの塔
聖書冊子協会

SC:SD1985年6月28日

北海道広島会衆

金沢司兄弟
柳村勝実兄弟
宮坂政志兄弟
押切博兄弟
飛田栄二兄弟
八幡幸司兄弟

親愛なる兄弟たち

協会はただ今、北海道広島会衆を援助すべく協会が調査を依頼した藤原兄弟から、中間報告書をいただきました。それによりますと、皆さんは6月19日に予定された会合にいったんは出席を拒否したものの、藤原兄弟たちの説得により、午前中の集まりに出席してくださったようです。しかしながら、午後に入ってから個人的に情報を求めようとしたこれら三人の兄弟たちに対し、皆さんは時間がないという理由でその場を引き揚げ、その後はどなたも出席を要請された会合においでにならなかったとのことです。しかも、皆さんは協会の代表者であるこれら三人の兄弟たちに対し、きわめて不敬な態度をお取りになったようです。わたしたちはこのような報告をいただいたことを本当に残念に思います。皆さんがお取りになったこのような態度ゆえに、協会はあらためて特別委員を任命し、広島会衆の実情を調査するよう取り決めることにいたしました。ただし、笹山兄弟は特別委員の一人に入っておりませんので、このことを念のためにお伝えしておきます。また、宮坂兄弟は笹山兄弟に電話をかけ、二人の姉妹たちと笹山兄弟をそれぞれ審理事件として告発したいとの連絡をしたようですが、もしそうであるとすれば、これら特別委員は審理事件として問題を取り扱うようになるかもしれません。それで、特別委員からの連絡を待ち、予定される会合に出席し必要と思われる証言とご自身の弁明を行っていただきたいと思います。わたしたちは皆さんが宇宙の最高主権者であられるエホバ神とクリスチャン会衆の頭であられるイエス・キリストの前に清い良心をいだいて服してゆかれるよう心から希望しております。上記の通りお知らせし、問題解決の上にエホバ神の豊かな祝福をお祈りいたします。

皆さんの兄弟
Watch Tower B&T Society
OF PENNSYLVANIA

この手紙の写し:特別委員

支部の手紙によると、広島会衆の兄弟たちの罪は『不敬罪』ということらしい。『不敬罪』とは、1947年改正以前の刑法で、「天皇および皇族、もしくは神宮、皇陵に対して不敬行為を成すことによって成立する罪」と説明されている。これに相当するような罪がキリスト教にもあるのだろうか。聖書には次のように記されている。

「このようなわけであなた方にいいますが、あらゆる種類の罪や冒とくは許されます。しかし、霊に対する冒とくは許されません。たとえば人の子に逆らう言葉を語っても、その者は許されるでしょう。しかし、聖霊に言い逆らう者は誰であっても許されないのです。この事物の体制においても、また来たるべき体制においてもです」(マタイ12:31,32)

キリストに対する不敬でも許されるのに、ものみの塔協会は許さないという。自分たちを聖霊と同列に考えているのであろうか。すでに過去の法律となった不敬罪がものみの塔協会で有効であったとはまったく知らなかった。

たいして意識もせずに偽りを語り、それを指摘されると「不敬だ」という。これはいったい何を示唆しているのであろうか。恐らく、彼らの報告は簡単に受け入れられ、その真実性が問題にされるということもほとんどないのであろう。もしそうでないとすれば、もっと真実に注意を払うはずである。

巡回訪問のとき、「それでは私たちはどうしたらよかったのでしょうか」と藤原兄弟に尋ねてみた。すると「何も言わずに、黙って、指示された通りにしていればよかったんです」ということであった。これはつまり、組織にとっては真理か真実かなどということより、従うか従わないか、従順か不従順かの方がはるかに重要な問題であるということを意味している。いやしくも協会の代表者たちに疑問を差しはさみ、真実に従って扱って欲しいと要求するなどとは、彼らの目には「きわめて不敬な態度」に映るのであろう。

何ともこの主観の世界というか、感覚のズレは本人にその自覚が無くなると恐ろしいものである。支部の感覚では不敬な態度を取ると「特別委員会」が任命されることになってしまう。しかも「審理事件として扱うことを検討している」と語るだけで、逆に審理にかけられるかもしれないという。このような何ら聖書的根拠のないことを平気でやろうというのは、普段いかにムチャクチャなことを組織の権威で押しとおしているかを物語っている。今まではそれでも何ともなかったのであろう。

この手紙でいよいよ審理は確実なものになった。文面には「審理事件として扱うようになるかもしれません」とあるが、「かもしれない」というのは表向きのことであって、実際は、間違いなく行うということである。監督たちにやらせていることはまさに審理の準備にほかならないわけであるから、疑問の余地はない。

この頃、会衆内には動揺が広がっていた。それに大いに貢献したのは、監督たちが会衆の成員にかけてきた電話やその調査の仕方であった。巡回訪問を翌週に控え、「いったい兄弟たちはどうなるのだろうか」という不安が強まっていた。それで会衆に状況を知らせ、個人の信仰で自らの進む道を選んでもらうため、集会で特別のプログラムを組むことにした。

支部が組織の権威できているので、兄弟たちは、聖書、真理、真実の権威、神の権威を前面に押し出すことにした。そうすれば、組織の権威で押し切ろうとする組織主義は、神と真理を敵に回すことになる。その図式を明確にした上で、会衆にも支部にも好きな方を選んでもらおうということに決めた。

7月4日木曜日の集会で金沢兄弟は事件のあらましを会衆の成員に説明した。

彼は話の終わりの方で、「いかに日本支部といえども人間なら恐れる必要はない」と語った。私たちが本当に恐れるべきなのは真実をご存知のエホバ神であり、組織の権威をかさに着た人間ではない、ということを強調したのである。支部はこの発言を問題にし、「告発する」とまで憤ったが、彼は別に支部を挑発するために語ったわけではない。それに、身に覚えがなければ怒る必要もまたないわけである。使徒5:38,39に基づき、エホバの証人として神の道を取るか、それとも権威主義という人間的な道を取るかということを象徴的に述べたにすぎない。

「この企て、また業が人間から出たものであれば、それは覆されるからです。しかし、それが神からのものであるとしたら、あなたがたは彼らを覆すことはできません。さもないと、実際には神に対して戦うものとなってしまうかもしれません」 (使徒5:38,39)

それゆえ同時に、「これは義の戦いである」とも強調した。支部にやましい動機がなければ話の主旨を取り違えるはずはないと判断したのである。

この話はテープに取られ、監督たちのもとへと送られた。藤原兄弟はこのテープの入手について、「エホバのお導きだと思いました」と巡回訪問の際に語っている。しかし金沢兄弟はプログラム前から、自分の話が録音されるであろうことを予想していた。K姉妹と親しくしていたT姉妹がテープレコーダーを持ってきていたからである。集会後、隣に座っていた姉妹に尋ねるとやはり録音していたとのことであった。

だが、兄弟たちはそれをとどめようとは思わなかった。闇の業であれば、それは完成させてしまうのがエホバの方法だからである。

5章 巡回訪問

(1) 巡回訪問に先立って

広島会衆の巡回訪問は7月9日〜14日の予定であった。巡回訪問とは、巡回監督が各会衆を週ごとに訪問する取り決めである。通常20ほどの会衆が一つの巡回区を構成し、さらに幾つかの巡回区が集まって地域区を構成している。広島会衆が所属する巡回区の監督は瀬野兄弟であり、地域監督は藤原兄弟であった。

各会衆の抱える重大な問題は、ほとんどがこの巡回訪問で扱われることになっている。もし支部が巡回訪問中に審理委員会を開く予定であれば、瀬野兄弟が一人で来ることはない。審理委員会は一人では開けないので、必ず藤原兄弟も派遣されるはずであった。

予想した通り、巡回訪問の前日になって藤原兄弟が共に訪問するとの連絡が入った。しかし訪問の目的や性質については何の説明もなかった。兄弟たちは先に木曜日の集会で、

「私たちは日本支部の下にいるので巡回訪問は受け入れるが、不真実に基づいて進められている特別委員会の業は受け入れられない」という方針を打ち出していた。(これは組織の権威と神の権威を相対的に考えた上での発言であった)

それで彼らが単に巡回訪問で来るのか、それとも特別委員として来るのか、あるいはその両方で来るのかによって対応を決めようと考えていた。

(2) 7月9日火曜日

午後一時頃、瀬野兄弟と藤原兄弟が到着した。二人を出迎えた兄弟たちは訪問の目的、および統治体の裁定を携えているかどうかを尋ねた。しかし裁定はなく、彼ら自身も訪問の目的はよく分からないとのことであった。

「支部に電話で聞いてみてはどうでしょうか」

と藤原兄弟。

「誰に聞いたらいいんですか」
「藤本兄弟か阿部兄弟が担当だと思いますが」
「そうですか。では、ちょっと相談してみます」
「じゃあ僕たちは待ってます」

そう言って藤原兄弟は瀬野兄弟と共に車に戻った。

そこで支部に電話を入れてみた。

「こちらは北海道の広島会衆ですが」
「少々お待ちください」

電話はすぐに兄弟に変わった。声から判断すると阿部兄弟らしかった。

「何でしょうか」
「今、突然藤原兄弟が見えられましたが、いったい何の目的でおいでになられたんでしょうか」
「地域監督として、援助と調査のためです」
「それだけでしょうか」
「どういう意味ですか」
「お尋ねしている通りですが」

やや間をおいていかにも不機嫌そうな調子で再び

「どういう意味ですか」
「お聞きしている通りです」

しばらく沈黙…。そして遂に

「援助と調査だけです」
「そうですか。分かりました」

援助と調査だけであれば拒む理由はない。支部がどこまでその約束を守るか定かではないが、「Yes means Yes の精神(“はい”という言葉は、はいを、“いいえ”は、いいえを意味するようにしなさい-マタイ5:37)」でゆくことに決めていたので、その通り受け入れることにした。

この後、瀬野兄弟と宮坂兄弟は会衆の記録調べを行ない、藤原、金沢、柳村兄弟の三人は今回の事件について話し合った。主な話題は藤原兄弟が送った中間報告についてであった。

「出席を拒否するなどと私たちは一言も言わなかったですけどねぇ」
「でも私は笹山兄弟からそのように聞いたものですから」
「…この手紙には私たちがその場を引き揚げたと書かれていますが、『これで終わりにしましょう』と言って集まりを閉じたのは兄弟自身じゃありませんか」
「私はそのように思ったものですから」
「しかし、『残れない人は手を上げてください』と兄弟が尋ねられたとき、柳村兄弟は手を上げなかったはずですが」
「そうですか、兄弟」と柳村兄弟に聞く。
「そうです」
「それなら『僕は残れます』とはっきり言ってくれれば良かったでしょう」柳村兄弟、逆に怒られる。
「それから宮坂兄弟は、二人の姉妹たちを告発したいなどと笹山兄弟に連絡したことはありませんけどね」
「僕は笹山兄弟からそのように聞いたものですから」
「そうですか、それでは笹山兄弟に確かめてみるしかありませんね」

すべてがこの調子であった。地域監督の立場にある者が、単に思った、感じた、聞いたのレベルで報告を送っていたのである。

藤原兄弟は先に帰り、瀬野兄弟が一人残った。そこで笹山兄弟が協会に送った報告について尋ねてみた。

「笹山兄弟に聞いたら、あの報告は兄弟の承認で協会へ送ったということでしたが、どうして事実を調べないでああいう報告を送ったんでしょうか」
「えっ、あ…笹山兄弟はそのように言ってましたか。確か…あれは笹山兄弟が送ったと思うんですが」
「そうですか。笹山兄弟は『調べてもらってもいい。僕は一人で送ったのではない。巡回監督の承認で送ったんです』とはっきり言ってましたけどね」
「う〜ん、そうだったかも知れませんが…いや、やはり、あれは、笹山兄弟が送ったはずです。あとで兄弟に確認してみましょう」

協会の手紙には“笹山兄弟から”とある以上、あの最初の報告の責任者は笹山兄弟に決っている。瀬野兄弟が名前を利用されたにすぎないことは明らかであろう。

その日の夜、「愛はクリスチャン会衆を見分ける」という題の話が、藤原兄弟によってなされた。その話の主要な点は、二人の姉妹たちの問題は愛で覆うべきものであるということであった。

(3) 7月11日木曜日

この日、金沢、藤原、瀬野兄弟の三人により、4時間余りに及ぶ集まりが設けられた。金沢兄弟と藤原兄弟が主に話し合い、瀬野兄弟はその内容をメモしていた。二人の姉妹たちの行状、預言の理解、本部への手紙などについて話し合われた。今回の事件に関する最大のポイントは次の点であった。

「ものみの塔の義の基準といっても、別に特別なことではなく、最近号でも強調されているように心からのエホバの証人でいようということです。利己的な、やましい動機からではなく、純粋な心でエホバに仕えようということですが」
「あ〜、そういう意味だったんですか。私は何か独自の義の規準を唱えているのかと思っていましたが、良く分かりました。しかしですね兄弟、それを日本で徹底したら、どんな弊害が出てくると思いますか。立ち行ける長老がいったい何人いるでしょうか。今、それを行うのは協会の方針ではありません」
「では、ものみの塔誌で勧められていることを、どのように理解したら良いのでしょうか」
「それはできる人はやれば良いということです。個人的にやる分には何も問題ありません」
「会衆でやろうとすれば…?」
「それは協会の方針に反することになります」
「と、いうことは…?」
「そうです。背教になりうるということです」
「それは、間違いなく、協会の考えですか」
「その通りです」

これは驚くべき発言であった。ものみの塔誌で公言していることをできるだけ皆で行なおうとすることが、背教になるというのである。

本来、ものみの塔誌の教えを広め、その理解を助け、可能な限りそれを行なうよう励ますのがものみの塔協会の代表者の務めのはずである。しかも、藤原兄弟は地域監督であり、1984年の暮に開かれた監督たちを訓練する王国宣教学校の教訓者でもあった。その時、ものみの塔誌の精神をできるだけ会衆に反映させるように、という指示を協会は出していたのである。さらに数ヶ月前に開かれた巡回大会で、監督たちを集め、ものみの塔誌の難しいところも可能な限り集会で扱うように、と教えたのは他ならぬ藤原兄弟自身であった。

これは支部の裁定に違いないと金沢兄弟は考えた。そこで藤原兄弟に次のように頼んだ。

「広島会衆は会衆全体でものみの塔誌の義を行なうべきであると考えていますので、集会でも扱っていただけますか」
「いいですよ。そうしましょう」

かくして支部の裁定は、ものみの塔協会の正式な裁定として公布されることになった。話し合いは友好的な雰囲気のうちに終了し、藤原兄弟も、「それでは審理委員会は必要ないでしょう。長老の削除の推薦もいらないと思います。少々調整するだけで良いでしょう」と語るまでになった。「では、支部によろしくお伝え下さい」と述べて、金沢兄弟は彼らと別れた。

ところが夜の集会に現れた藤原兄弟は、まるで別人のようになっていた。表情は硬く、取り付く島もないという風であった。いったい何があったのだろうか。彼は支部に電話してみると話していたので、恐らくその話し合いの結果であろう。

その集会での藤原兄弟の話の主題は、「神権的(神の権威を最優先する考え方)な取り決めに精通して従順に従う」であった。約束した通り、その話の中で協会の正式な裁定が伝えられた。

救いはバプテスマで達成されるので、ものみの塔誌に述べられているそれ以上の義は個人的に行なうべきものであり、会衆全体で行なってはならないという主旨の話がなされた。また、兄弟たちは神権的手順に違反することにより(本部と支部に連名で手紙を出したことを指す)「罪に罪を重ねた」と述べて、審理委員会を開く方針を明確に打ち出した。

(4) 7月12日金曜日

同日、午前10時から広島会衆の姉妹たちとの会合が開かれた。監督たちに事情を知ってもらいたいとの申し出に、藤原兄弟が快く応じて開かれたものである。ところが、この度も見事にその約束は破られた。

柳村姉妹が集まりの始まるのを待っていると、瀬野兄弟から会衆の名簿をコピーするように頼まれた。名簿を手にした瀬野兄弟は、出席した姉妹たち全員の名前をチェックした。

藤原兄弟が、「今日は皆さんのお話をお聞きします。どうぞ何でも言ってください」と切り出して、集まりが始まった。姉妹たちが発言すると、瀬野兄弟は名前を確認し、その内容をメモしていた。

何人かの姉妹たちは、その時の印象について次のように語っている。

「話し合うとか、聞いてくれるとかというのではなく裁きの根拠を探しているようだった。私たちが何を語っても、それはすべて会衆にとって不利になるよう曲げて受け取られてしまった。」

その夜、長老と奉仕の僕の集まりが開かれた。「火曜日の出迎えの態度がふさわしくない、もてなしの精神に欠ける」ということが主な理由として上げられ、全員がその立場から下ろされることになった。

その後、長老団の集まりになると、藤原兄弟はいかにも苦々しげに、

「兄弟、今日の姉妹たちとの集まりはひどかったですね」

と話し出した。

「僕は、ああいう姉妹たちを見たのは初めてですよ。あれはひどいですね。あの姉妹たちは!」
「何かしたんでしょうか」
「あれなら、兄弟がいなくても十分背教しうる姉妹たちですよ。あの姉妹たちならやりかねませんね」
「そうですか。それで一体そういう心配があるのはどの姉妹たちでしょうか」
「まず小河姉妹ですね。それに三浦姉妹、この姉妹は特にひどかったですよ。あと加藤姉妹や多田姉妹もそうでしょう。あの姉妹たちなら兄弟がいなくても背教しかねないと思いますよ」(藤原兄弟はかなりプライドを傷つけられたようであったが、小河姉妹は、二人の姉妹が何を訴えたのか、支部はどうして二人を信頼できる姉妹だとみなしているのか、と尋ねたに過ぎない)
「それじゃ私の方から何か話してみましょうか」
「いいえ、もう要らないでしょう。その必要はないと思います」

長老団の集まりはこれで終わり、背教で処分すると言う支部の方針がはっきりした。しかも、その中には姉妹たちも含まれている。そうでなければ、姉妹たちを説得するよう努力するはずであるが、その必要はないという。心配している様子もまったくない。おそらく支部としては、この際、反組織的な悪影響を根こそぎにしてしまいたいということであったのだろう。

排斥になりそうなメンバーをざっと数えてみると、少なくとも15人位いそうであった。一人一人バラバラになってしまえば潰れてしまうのは目に見えている。やはり会衆を組織する以外にない。とはいえ、結論が出る前に表立って動くわけにはゆかない。そうすればそれを背教の根拠にされてしまうであろう。いったいどうすれば良いのか、非常に難しいところであった。

この時、判断の基準としたのは、使徒5:38,39のガマリエルの言葉であった。今回の事件が人間的な意志から出たものであれば、成功することはない。しかし神が何らかの目的をもって物事を押し進めているとすれば、それは必ず成し遂げられるはずである。それを試してはっきりさせるには、どうしたら良いだろうか。考えたすえ、会衆を組織するための動きは一切起こさず、巡回訪問が終わるまでは監督たちの好きなようにしてもらおうということにした。もしそれで会衆が組織されるならば、それこそ神の建てた会衆とみなすことができる。そのようにしてエホバのご意志を確かめようと考えたのである。

ただ、もし会衆が設立されたとしても、組織から離れたままで長い間やって行くのは無理だろうと判断したので、何とか短期間で終わらせたいと思い、統治体に緊急の援助を求める手紙を出すことにした。

(5) 7月13日土曜日

特別委員会から聴聞会への呼出し状が届く。


札幌市西区XXXXXXX
松浦隆気付
北海道広島会衆特別委員

1985年7月13日

北海道広島会衆

宮坂政志兄弟
親愛なる兄弟

北海道広島会衆特別委員はものみの塔聖書冊子協会から任命された審理委員として、下記の通りあなたとの会合を持ち、聴問を行ないたいと考えています。ご都合をつけて出席してくださるようお招きいたします。

上記のことをお知らせし、エホバの導きをお祈りします。

あなたの兄弟

北海道広島会衆特別委員
藤原武久
桑原聡
瀬野隆男
松浦隆


またこの日ある姉妹に、「兄弟たちはもう駄目なので離れるように」との電話があったという。審理委員会が開かれる前にすでに兄弟たちの処分は確定していたらしい。

(6) 7月14日 日曜日

この日の集会には藤原、瀬野兄弟のほかに、近隣の会衆から松浦、桑原、出口、小熊の各兄弟たちが出席した。集会は物々しい雰囲気のうちに始まり、終始、陰うつで重苦しい空気が会場内に漂っていた。兄弟たちは意気消沈してまるで死んだようになっており、会衆のほとんどの人は集会の間中、ずっとうつむいたままであった。しかしそれとは対照的に、藤原兄弟は意気揚々としているように見受けられた。多分、もうこれで片付いたと確信したのであろう。集会が終わると悠々と引き上げていった。

この日、羊ヶ丘会衆の王国会館で審理委員会が開かれることになっていた。審理委員からの手紙によれば、罪状は「会衆内に分裂を引き起こしたこと」となっており、根拠として上げられているのは、7月4日の集会での金沢兄弟の発言であった。

しかし兄弟たちは、会衆を分裂させることを目的として行なったわけではなく、聖書預言の義に従っただけである。聖書預言の義とは次のような考え方である。

聖書は神が裁きを行なわれる際、救いのために求める特定の義の規準について示している。それは常に預言の形で伝えられるので、聖書預言の義と呼ぶことができる。この預言の義とは、ある特定の時期に特に必要とされる規準であり、通常の義に優先するものとなる。

例えば、ソドムとゴモラの滅びの時、救いに必要な特別の義の規準は「町を出なさい。後ろを振り返ってはならない」というものであった。またノアの洪水の時には「箱舟の中に入るように」という指示が出された。この預言(規準)によって人々は試され、振るわれてゆき、その結果、命に至る者とそうでない者とに分けられたのである。

広島会衆の兄弟たちは、イザヤ60:22の「強大な国民」(数においてだけでなく、質においても)が今の時期における預言の義であると考え、その方針に沿ったものみの塔誌の義の規準に従うことこそ、神のご意志に従うことであると判断した。ゆえに、二人の姉妹の扱いにおいても、問題の発言についても、決して神から離れようと考えた結果ではなく、神に従おうとした結果であった。したがって、審理委員会でいかに偽りの証拠に基づいて審理を行なおうとも、事の真実を知っている天の法廷の前では無罪であると確信していた。しかし次の聖句が気にかかった。

「…何でもあなたが地上で縛るものは天において縛られたものであり、何でもあなたが地上で解くものは天において解かれたものです」(マタイ16:19)

この聖句は、地上で権威を与えられている者の決定は、天でも有効であるというふうに適用されている。通常であれば、自称、神の権威を与えられているものみの塔協会の決定は、天の法廷の決定であると考える。そこで、ものみの塔協会の権威と、預言の義の権威とどちらが上かを試すために、言い換えれば、現代の預言の義は何かを確かめるために、金沢兄弟は次のような但し書きを送った。


1985年7月14日

特別委員

親愛なる兄弟たち

私には分裂を引き起こす意志も背教者になろうとする気持ちも全くありません。エホバ神が最も良く知って下さっていると思います。今週の木曜日可能な限りお話し致しましたが理解していただくことができなかったようで本当に残念です。(藤原、瀬野兄弟が聞いて下さいました)

王国の言葉は人々を分ける力があります。聖書預言の義もシュローダー兄弟のお話のようにロトの家族を分けてしまいました。そのことを分裂行為と考えるなら仕方のないことです。

山へ登る時のように地点、観点が変化すれば物事はまったく異なって見えます。それを一致させる価値基準が受け入れられなければ私には、もはやどうしようもありません。

祈りのうちに努力してみましたが弁明しようという気力、体力がわいてきませんので、兄弟たちにすべての裁定を委ねたいと思います。どうぞみ旨のままに物事を決定なされて下さい。

ただもう少し時間を下されば皆さんの聴問に応じることのできる状態になるかも知れませんが、7月14日の状況ではとても無理と感じています。

それで私のいない状況で7月14日に審理がなされ、決定が下されても私には何の異議もありません。

すべて皆さんにお任せしたいと思います。もし決定がなされたらお知らせいただければうれしく思います。

新秩序への命の道を私にも残して下されば幸いです。

祈りとともにあなたの兄弟

北海道広島会衆金沢司


もし、日本支部あるいは審理委員の中に聖書預言の義が理解できる監督がいれば、審理を強行し強引に排斥にすることはなかったと思うのだが、どうやら心から理解しようという監督は一人もいなかったようである。

この但し書きには時間を稼ぎたいという意味もあった。統治体が動いてくれれば全員が排斥にならずに済むのではないかという期待があったからである。またぎりぎりまで譲歩してみれば、支部に少しでも憐れみがあるのか、それともどうしても追放したいのかが明らかになるだろうということもあった。

審理委員会に出ることは初めから論外であった。

6章 審理委員会

(1) 欠席審理での排斥

審理委員会とは裁判と同じようなものであって、単なる話し合いの場ではない。後に「どうして審理委員会に出て話し合わなかったのですか」というわけの分からないことを述べた長老たちもいたが、審理委員会の何たるかが認識できていれば、そういう台詞は出てこない。

王国宣教学校の教科書(監督養成書)を見れば分かることであるが、審理委員会を開くのは罪を確定した上でのことである。従って、審理委員会に呼ばれるということは、すでに罪人に定められたことを意味する。罪を犯したのか、それともそうではないのかを話し合うのは審理委員会以前の問題である。

兄弟たちには審理委員会に行くべき罪の自覚はなかった。ものみの塔誌の精神を可能な限り会衆に徹底させようとすることが背教になるなどということは、エホバの証人としての信仰と良心からしてとうてい受け入れることはできなかった。審理委員会に呼ばれるべきなのは、むしろ偽りを弄し偽証を行なっている彼らの方ではないか。本当の背教者は日本支部の方であると考えていたのである。

しかもあの監督たちでは。審理委員会の実質的な代表者が不真実な報告を送ることを何とも思わない藤原兄弟なのである。公正な審理を期待できる可能性はまったくなかった。仮に監督たちが奇跡的に真実を擁護したとしてもどうしようもない。末端でどう言おうと決定するのは支部である。支部が片付ける気である以上は何をしようと無駄なことである。つまり、どう考えてみても、出席するという線は出てこなかった。

この時、兄弟たちが唯一期待をよせていたのは、統治体の勧告であった。もっともこれは統治体の善意を信じた上での話ではあったが。(この時はまだ統治体そのものが問題なのだということはまったく分からなかった。それを理解したのはかなり後になってからである。)郵送に必要な日数を考えると、勧告が出るまでには最低一週間から十日位かかるものと思われた。そのため兄弟たちは何とか時間的余裕を作ろうと考え、審理委員会の延期を願い出た。しかし、これはあっさり断られてしまった。

王国宣教学校の教科書、p.69、161には、「もし再三、聴問を行なっても当人が来ないなら」「当人が再三に渡って姿を現さない場合」と記されている。ゆえに、この組織の指示に忠実に従うのであれば、一度の欠席で排斥になることはあり得ない。何度かは呼んで様子を見るはずである。ところが、支部は神の義と公正だけではなく、組織の取り決めをも無視したのである。兄弟たちは一回の欠席審理で排斥されてしまった。何故か理由は分からないが、支部は非常に急いでいた。少なくとも、2、3回は呼んでもらえるものと思っていたのであるが…

(2) 二分された会衆

7月15日月曜日の朝、金沢兄弟に瀬野兄弟から電話で排斥の通知があった。

「兄弟が望んでいた排斥になりました。一応上訴することもできますが、そうしますか」
「もちろん上訴します」と答えると、
「えーっ。上訴するんですか…」一瞬、絶句した。 「じゃあ、なるべく早く上訴文を出してください」

組織を出るものと決めてかかっていたらしい。

同日、瀬野兄弟は会衆の成員に電話をかけ、「別の集会に出席すれば排斥になり、二度と組織に戻ることはできない」と告げた。それによって、別の集会が開かれることを知るようになった人は多かった。

電話での反応があまり思わしくないと感じたのであろうか。翌日、A、K姉妹の二人は会衆の姉妹たちや研究生の家を訪問し、謝罪して廻った。恐らく別の集会に行く人を一人でも減らそうと考えたのであろう。結果からすると、これは逆の効果をもたらしたようである。

16日の夜、集会が開かれた。出席したのは約60名であった。広島会衆は真っ二つに分かれてしまったのである。兄弟たちは誰一人誘わなかったのに、なぜ多くの人が「組織を出たら滅びる」という監督たちの脅しを振り切り、自ら排斥される道を選んだのであろうか。

以下はその理由について尋ねたものである。

彼らは皆、自らの信仰によってこの道を選んだのである。

(3) 上訴委員会

7月17日(水)下記の上訴文を提出する。


1985年7月17日

特別委員会の兄弟たち

7月15日に特別委員会の背の兄弟を通し排斥決定の電話連絡を受け取りましたが、私は下記の理由に基づきこの件を上訴したいと思います。

  1. 藤原兄弟はものみの塔協会を通し光を増しゆく聖書預言の義に関する裁定について私達に知らせて下さり、会衆で何度か話して下さいました。ところが統治体の裁定であるとは一度も述べられませんでした。この問題の根本となっているのは、まさに、その裁定なのですから、統治体の兄弟たちに確認して最初からやり直すのが道理にかなっており、急いで判断を下すのは性急だと言えるのではないでしょうか。(「奉仕の務め」p.28、1節 使徒15:1,2)

  2. 今回の扱い方を見ていますと、聖書預言の義について心から理解している人々でなければ、この問題を十分に扱うことはできないと感じました。したがってこの件を審理する兄弟たちは、その義について心から理解できる方々で構成されるべきではないでしょうか。(詩篇19:7〜11)

  3. この度の決定はきわめて一方的、かつ不当なものであり、はなはだしく公正を欠いています。(申命記1:16、Iテモテ5:21、イザヤ32:1,2)

こうした点から、悔い改めの有無というよりは審理の根拠そのもの、および審理自体が聖書的に無効であることをお伝えします。それゆえ上訴委員は統治体の裁定を受けてから、それを心から理解できる兄弟たちで構成していただきたく思います。(箴言16:21)

もし上記の点が受け入れられない場合は、いかなる取り決めも決定も天の最高法廷の前では無効であることを宣言したいと思います。(アモス5:20〜24、6:8)

以上お知らせし、兄弟たちの憐れみに富む判断を心からお願い致します。

まさに71年目に王イエスが引き上げられた義の支配を見たいと願っている皆さんの兄弟。

<アモス5:20〜24;6:8>
5:20エホバの日は暗闇であって、光ではない。それは暗がりであって、明るさはない。そうではないか。
21わたしはあなた方の祭りを憎み、〔これを〕退けた。わたしはあなた方の聖会の においを楽しまない。
22また、あなた方が全焼燔の捧げ物をささげるとしても、その供え物を喜びとは しない。あなた方の共与の犠牲の肥えたものに目をとめなさい。
23あなたの歌の騒々しさをわたしのもとからのけよ。あなたの弦楽器の音色を私に 聞こえないようにせよ。
24そして、公正を水のように、義を絶えず流れ行く奔流のようにわき出させよ。
6: 8『主権者なる主エホバが自らの魂にかけてこう誓った』と、万軍の神エホバは お告げになる。『「わたしはヤコブの誇りを忌まわしく思い、その住まいの塔を
憎んだ。わたしは〔その〕都市とそこに満ちるものとを引き渡す。

7月18日(木)上訴委員会からの手紙が届く。


札幌市豊平区XXXXXXX
村山一雄様気付
北海道広島会衆宮崎勝男

1985年7月18日

宮坂政志兄弟

親愛なる兄弟

7月16日付のあなたからの上訴の申し出に応えて、私たちは上訴委員会を開くことにいたします。上訴委員の構成と上訴聴問会の行なわれる日時と場所は次の通りです。

上記の通りお知らせいたします。

王国のために働く
宮崎勝男


上訴委員会のメンバーを見て、真面目にやる気はまったくないと判断した。藤原兄弟よりはるかに低い権威しか持たない人々で構成されていたからである。

所詮、この上訴委員会は形式的なものに過ぎなかった。初めから真剣にやる気はなかったのである。このことはメンバーの一人であった小熊兄弟が、橋本さん(研究生)に語った次のような言葉によく表れている。

「特別委員が決定したことを覆すことはできない」
(「特別委員」は通常、組織の取り決めにはない)
「藤原兄弟が説得しても駄目なものは、誰がやっても駄目である」

しかも彼は、1年余りたつと、自分が上訴委員であったことさえすっかり忘れていたとのことである。たぶん途中から特別委員の方へ移ったせいもあるとは思うが。

一回の欠席審理での排斥、事実調査さえやろうとしない不真面目な上訴委員会、組織のこうしたやりかたに憤った金沢兄弟は、王国宣教学校の教科書(長老用のテキスト)返還要求に対して次のような返書を送った。


1985年7月20日
金沢司

今回の事件の責任者の兄弟たちへ
(特に日本支部内)

何をそのように急ぐのでしょうか。再三の呼出しという王国宣教学校の教科書(p.161)の指示を無視し、何のために性急に事を進めようというのでしょうか。これがいったい誰の益になるというのでしょうか。誰を喜ばせるというのでしょうか。皆さんはよく理解されているはずです。はたして誰の精神を反映し、誰の知恵に従っているかを。よくご存知ではないでしょうか。およそ清い聖なる神エホバのみ前で良心に何の痛みもなくできるものかどうかを。それとも少しも感じないほど皆さんの良心は麻痺しているのでしょうか。

皆さんは広島会衆を分裂させ王国会館の建設を中止させてしまい、多くの羊に多大の苦しみをもたらしました。そればかりでなく、はなはだしく不公正な裁きを行ない、強引に50人以上の魂を滅びに定めようとしています。これが、エホバ神のみ前で流血の罪を負い、天の法廷を侮辱する行為となることを知らないというのでしょうか。エホバ神は生きておられ、このことをご覧になっているはずです。(歴代第二19:6)さらに質問や嘆願を反組織的行動、不従順とみなすほどの忠実を要求するのはいったい誰が持てる権利でしょうか。いかに皆さんといえども、もしそうするなら自らを神の上に高める不法の人と同列になってしまうのではないでしょうか。

A・D・シュローダー兄弟は地帯訪問で明確に述べておられなかったでしょうか。聖書預言の義は生き残るためすべての人に必要な最低の義の規準であり、大ぜいの群衆が自らの衣を白くするためには欠かせないものであることを。(啓示7:14)今回皆さんはそれとはまったく相反する裁定を出されました。それゆえ、私は長老としてそのことを統治体の兄弟たちに再びお尋ねすることにしましたが、皆さんこそむしろ率先して統治体に確認すべきではないでしょうか。(使徒15:1、2、22、30〜32)私としては、その支配71年目に義を引き上げようとされる王イエスと戦い、エホバ神を敵にまわすことなどとても考えられないことです。

したがって、今回のような神権的手順および、天的経路を無視した措置はすべてが無効であり、まったく受け入れられないものであることをお伝えしたいと思います。(アモス5:5〜7、20〜24; 6:8、13)ゆえに、王国宣教学校の教科書は聖霊が私の長老職を解くまでは皆さんに返還する必要がないことをお知らせ致します。

王の義のために働く兄弟
北海道広島会衆の長老
金沢司


7月20日(土)夜8時、電話で排斥が通知される。

7月21日(日)再度、統治体に援助を依頼する。

(4) 姉妹たちの審理

7月24日(水)特別委員会から招集状が届く。


札幌市西区XXXXXXXXX
松浦隆気付
北海道広島会衆審理委員
1985年7月22日

北海道広島会衆
柳村敬子姉妹
親愛なる姉妹

北海道広島会衆審理委員は下記の通りあなたとの会合を持ち、聴問を行ないたいと考えています。ご都合をつけて出席してくださるようお招きいたします。

上記のことをお知らせし、エホバの導きをお祈りします。

あなたの兄弟
北海道広島会衆審理委員
藤原武久
松浦隆
桑原聡
小熊幸弘

※ 開拓者身分証明書をお返し下さい。


7月26日(金)排斥通知

兄弟たちが一人も審理に出席しなかったためであろう。姉妹たちも欠席すると考えたらしく扱い方は非常に事務的で、ずさんであった。ある姉妹が招集の手紙を受け取ったとき、すでにその日時が過ぎていたくらいである。

8月1,2日上訴委員からの招集


札幌郡広島町XXXXXXXXXXX
北海道広島会衆宮崎勝男
1985年8月1日

親愛なる小河姉妹

あなたからの上訴の申し出にこたえて、私たちは上訴聴問会を開くことにいたします。上訴委員の構成と上訴聴問会の行なわれる日時と場所は次の通りです。

上記の通りお知らせいたします。

宮崎勝男


8月3日(土)排斥通知

(5) 審理委員会への質問

加藤姉妹のご主人は家族からある程度の事情を聞いていたが、姉妹たちに審理委員会への招集状が届いた時、その文面に驚き、支部と特別委員会に質問を送ることにした。

<< 尋ねた点 >>
  1. 背教者とは何か。
  2. 分派活動とは、どういうことを指すのか。
  3. 組織の指導者は、神の救いを真剣に求める人に真に聖書的な愛の手を差し伸べているか。
  4. 人間的な権威を神の権威にすり替えようとするキリスト教会の歴史的教訓をどう思うか。

加えて、公正な態度で事実を再調査するよう求めた。しかし回答はなかった。

7月26日、姉妹たちに排斥の通知を行なっていた藤原兄弟と、加藤さんは1時間以上にわたって話し合った。その一部は次のようなものである。

「手紙は届いているが(7月24日に送った手紙)、まだ内容を読んでいない。組織(日本支部)の指導に反抗したグループに加わっているので処理された」
「なぜ判決を急いだのか。聖書や出版物には充分な説得と記されているが、どのような努力をしたのか」
「電話で一回、全会衆の前で一回」
「そのような回数だけで充分なのか」
「…沈黙…一方的な情報だけで私たちを批判するのはおかしい」
「責任者側でまとめた経過を知りたい」
「組織内部の事情なので説明はできない」
「判断する情報がないではないか」
「…無言…お父さん、組織に戻るように呼びかけてください」
「組織外の人間だから介入はできない。それらを調整するのが責任者ではないのか」
「誤りなので撤回する」
「神の言葉上の問題か、それとも組織上の問題か」
「組織上の義(私には神学上の用語なので理解できない)の解釈の相違だ」
「解釈上の相違はどこで調整されるのか。組織内で疑問が生じた場合に充分な話し合いもせず、判決だけ急ぐルールになっているのか」
「…沈黙…」
「分裂とか分派というが、少なくとも6月まで王国会館建設の動きがあり、一人の独裁的、分派的責任者と判定された者の独断で決定したものではなく、会衆の総意だと聞いている。先月まで平和な会衆であったのに、それを相争う会衆と評価するのか」
「そのような評価はしない、立派だと思う」
「ならばなぜ急いで判決を出したのか」
「私は上と下から板挟みになり、頭が混乱している」

しばらくの間無言。電話が切れたのかと思い、「藤原さん、藤原さん」と何回か呼んだ。

「突然に上部が変わった。上部で決めたので、これ以上の事は上部に聞いてほしい。お父さん、私の立場も理解して欲しい。…しばらく沈黙…私はどうなっても良い、覚悟をしている」(彼の言う意味が分からない)
「エホバの証人は“世の光となるように”と教えられていると聞いている。世俗の人々が尊敬できる行動を取って欲しい。我々は聖書につまずくのではなく、あなたがた指導者の行為につまずく。真に聖書的な解決によって、早く平和が戻ることを希望する」
「私たちもそのように努力する」
「前回の手紙についての返事を期待する」
「…無言…」

加藤さんはこの話し合いの感想を次のように述べている。「お父さん、私たちはエホバの言葉に基づいてこのように行動したのですよ」というような神の言葉に基づく説明を期待していた。しかしその話はまったく出ず、組織の決定であると繰り返すだけであった。神よりも組織が優先するとの強い印象を受けた。電話後に知って驚いた。何と彼は北海道地方の最高責任者であったということである。私は札幌の一長老だと思い、厳しい質問を控えた。

藤原さんは最初、元気よく話していたが、後半は無言とか、「頭が混乱している」と称し、意味不明なことを口走っていた。「なぜ、判決を急いだのか」との部外者からの質問には答えられず、「判決が下っても組織に戻ることができる」と弁明する。「問題、取り組みの順序が逆ではないか」と問うたら、「私が決定を下したのではないから上部に聞いてくれ」という。会衆の前で判決を宣告した裁判官が、「判決は私から出たものではない」というのである。このことを世俗では責任回避という。責任者としての権威を機械的に行使したにすぎず、その責任を果たすため充分な努力を払ったとは考えられない。責任者には権限があるが責任もある。自己の行為を反省もせず、上部に責任を転嫁する。世俗の管理者ならば尊敬されぬタイプである。

7章 本部への訪問

(1) 事件の見通し

兄弟たちは事件が長期化することを望んではいなかった。たとえ真実でないことがはっきりしていても、背教者と呼ばれるのはあまり気持ちの良いものではない。そのままの状態が続けば友人、親族などとの関係にも様々な影響が出てくる。何とか短期間で終わらせたいと思っていた。しかしそうした期待とは逆に、事件は長期化の様相を帯び始めた。二度にわたる会衆の嘆願に対して統治体からは何の返答もなかったからである。

義の裁定を尋ねる6月25日付の手紙を本部に送ったとき、兄弟たちはそれに署名をしなかった。通常、組織上の取り決めでは、そういう手紙は支部に返されることになっている。問題はただ返すか、それとも何らかのコメントを付けて返すかであったが。もちろん兄弟たちとしては、統治体の見解が出されることを期待していた。しかし本部はどうやらそのまま返したらしい。支部の裁定から判断するとそういうことになる。

本部は手紙をそのまま返しても、支部委員全体がこの事件を知るようになれば何とかなるのではないかという期待も僅かながらあった。というのも、この事件は支部のなかで権威を持つある特定のグループによって、内々に進められている陰謀のようなものではないかと考えていたからである。そういう徴候は随所に見られた。もし支部全体がこの事件を知るようになれば、それなりの自浄作用はあるはずだから、問題を正すために誰かが立ち上がるのではないかと期待したのである。しかし、そういう人は一人もいなかった。

加えて本部にも動く気配はまったくなかった。どうして真実を擁護し、問題を正してくれないのであろうか。一体どうなっているのだろう。本部の考えが分からないことには、今後の見通しが立たない。「それでは行って確かめてこようか」ということになり、本部への訪問が具体化した。そこで会衆は金沢兄弟と宮坂兄弟の二人を派遣することにした。

(2) ニューヨーク、ブルックリンへ

9月6日、午後17:30分ノースウエスト018便はニューヨークへ向けて成田を飛び立ち、予定より1時間送れてケネディ空港へ到着した。

入国手続きをすませタクシー乗り場を捜しに行こうとしたとき、「トモダチ、トモダチ」と声をかけてきた外人がいた。旅行案内所には、「この手の外人には気を付けろ」と書かれている。暴利タクシーの運転手と相場が決っているからである。それで「No,thank you」と断った。ところが、すぐにその場を立ち去らなかったせいか、「cheap, cheap」(安いよ、安いよ)と叫びながら、勝手にカバンを持って歩き出してしまった。それでも強く断ればよかったのであろうが、何しろ二人は急いでいた。本部の受付の終了してしまう時間が迫っていたのである。もし間に合わないと、ニューヨークの路頭に迷う危険性があった。「まぁ、この際仕方ないか」というわけで、その暴利タクシーに乗ることにした。

ものみの塔協会の宣伝によると、ニューヨークでは“Watchtower”というだけですぐに分かるということであったが、意外なことにそのタクシーの運転手は知らなかった。仲間の運転手や通行人に聞いても分からず、尋ねまわってようやくたどり着いた。バスだと二人で16ドルのところを何と120ドルも請求された。渋るとムードが怪しくなったので、命惜しさに110ドル支払った。

しかしさすがにスピードは速かった。交通渋滞の始まっている道を60マイル(約100Km)の速度で車の間を縫うように走って行った。それで、日は沈んでいたがすっかり暗くなってしまう前に何とか本部に着くことができた。受付を捜しながらタワーズホテルの方へ歩いて行くと、途中で白髪の兄弟が二人の行く手を遮った。彼は腰にさげた鍵の束の中から一つを取り出して、おもむろに錠を開け、「Please」といって中へ入れてくれた。その後、受付の兄弟に何やら話し、奥へ引っ込んでいった。いったい誰だったのだろう。不思議な印象を与える人であった。

ところで、受付の兄弟はすでに日本語のできる姉妹を捜してくれていた。やがて彼女と連絡がつき、電話で話をすることになった。

「お待たせしました。今、シャワーを浴びていたものですから」
「それはすみませんでした」
「兄弟たちの用件はどんなことでしょうか」
「姉妹たちに話してよいのか、どうか…ちょっと判断に迷いますが」
「それではちょっと待って下さい」

…後ろの方から、かすかに声が聞こえる。夫と相談しているらしい。「Maybe apostates」(たぶん背教者)という姉妹の言葉がはっきり聞こえてきた。

「もしもし…」
「姉妹、どうやらご存知のようですね」
「…(5秒ぐらい沈黙)」
「後ろのほうで話している声がたまたま聞こえてきたものですから」

ここで姉妹の語調がガラリと変わる。

「兄弟たちの目的がわかんないのよね。いったい何が目的なの」
「はっ、いいえ、あのう目的といわれましても、特別何かそういうことがあるわけではないんですが。もう私たちだけではどうしようもなくなりましたので、何とか助けていただけないかと。ただそれだけなんですが」
「じゃ結局、責任のある兄弟たちに会いたいということですね」
「はい、そうです」
「今日はもう遅いので、明日また来てください。タワーズホテル知ってる?すぐ向かいなんだけど」
「はっ、すみませんが良く分からないんです。ここの受付にしていただけると助かりますが」
「そう、分かったわ。ところで兄弟たちホテル大丈夫なの。べテルには泊められないのよね。巡回監督やべテル奉仕者じゃないと駄目なことになってるから」
「今晩はルーズベルトホテルに予約してあります。明日からのを手配をしていただけるとありがたいんですが」

明日の朝9時ごろ、受付に来ることを約束して電話は終わった。

タクシーを呼んでくれることになったので、しばらく待っていた。ちょうどタクシーが到着するころ、奥の方から、見事に頭の禿げ上がったかなりの年配の兄弟が出てきた。恐縮して断ったのにカバンをタクシーまで運び、渋る受付の兄弟を伴い、わざわざ見送ってくれた。排斥後、エホバの証人から受けた数少ない親切の一つであった。

(3) 9月7日土曜日本部との交渉

様々なアクシデントがあり、予定より30分くらい遅れて本部へ着いた。その日は年一回の部屋替えということで、辺りは部屋を探して歩く兄弟たちでごった返していた。受付で用件を告げたが要領を得ない。連絡がついていないらしかった。仕方がないので兄弟たちは再び最初からやり直すことにした。

「兄弟たちは何をして欲しいんですか」
「問題を正していただきたいんです」
「問題…どんな問題ですか」
「裁きの問題です」
「OK、ちょっと待ってください」

待っている間にハワイ出身の兄弟たちが声をかけてきた。三世なので日本語はもうほとんど話せないという。「私たちはべテルに入ったばかりで、これから部屋を決めに行くところです。べテル奉仕の年数に応じて、だんだん新しくて良い部屋に移っていけるんですよ」と笑いながら話していた。そうこうしているうちに、日本語のできる日系三世のフルヤ兄弟が見つかった。が、彼も部屋替えで忙しいということで、もう暫く待つことになった。その時フロントの兄弟から再び声がかかった。

「兄弟たちの問題は何だったでしょうか」
「裁きの問題です」
「審理委員会は開かれましたか」
「はい」
「では上訴したらよいのではありませんか」
「上訴委員会はもう終わりました」
「それは本当ですか」
「はい」
「ということは“より高い裁き”を望んでいるということですね」
「その通りです」
「OK、分かりました」

そうするうちフルヤ兄弟が戻ってきた。フロントの兄弟と話したあと監督たちに連絡を取ってくれたが、「会うことはできない」という返事であった。

「それはおかしい。昨日は確かに責任のある兄弟たちに会わせてくれると言ったんです。約束が違うじゃありませんか」
「そう言ったのは誰ですか」
「日本語のできる姉妹です」
「名前は何と言いますか」
「えーと誰だったかな、うーん、そう、確か…アツ子です。アツ子姉妹といいました」
「ああ、分かりました」

姉妹に連絡すると、タワーズホテルのロビーで会ってくれるということになった。

アツ子姉妹は硬い表情でロビーにやって来た。何となく渋々やって来たという感じであった。ソファーに腰を降ろすと次のように切り出した。

「兄弟たち、一年ぐらい頑張ってみたらどぉ」
(一年…それは困る、何とか短期間で終わらせたいと思って本部までやって来たのに)

それで返事をしないで黙っていると

「復帰することもできるしねえ」と復帰を勧めてきた。

(復帰とは排斥された人が悔い改めて組織に戻ること、つまり自分の違反を認めたことになり、日本支部の審理は正当なものであったということになってしまう)

復帰!とんでもない!

「そんなことをしたら罪を認めてしまうことになるでしょう」
「じゃあ兄弟たちは何をして欲しいの」
「とにかくですね。私たちは本当の背教者じゃありませんので、この背教者というのを何とかしてくれませんか」
「日本支部の方からは何も聞いてないのよね。兄弟たちからの情報だけで扱うわけには行かないでしょう」
(どうして?扱う気であれば調べることができるだろうに。本部だからそれくらいの権限はあるでしょう)
「それに兄弟、たとえ真実でも日本人は言い方によっては誤解するでしょう」
(そんなことは分かっている。日本支部が変なことをしなければ、私たちだって何もあそこまで言う必要はなかったのだ。真実だと分かっているなら何とかしてくれてもよさそうなものなのに)
「組織はね、兄弟たちが思っているより大きいのよね」
「ええ、それはこちらに来てみてよく分かりましたが」
(組織が大きいからといって神の律法を曲げてよいということにはならないでしょう)と言いたかったが、これも黙っていた。
「これは難しい問題です。非常に難しい事件です」

この時アツ子姉妹は何事か考え込むような表情をした。しかしこの事件は単に聖書に従おうとしない日本支部のおかしなグループによるものとばかり思っていた私たちは、姉妹のこの言葉を聞いて意外に感じた。

どうして。どこが難しいのだろうか。偽りや偽証を行なっている者を扱えばそれで済むことではないか。そう思ったので次のように切り出してみた。

「ものみの塔誌は『はい、は、はい』の雑誌でしょう」
「そうです」
「ではどうしてその通りに会衆で行なおうとすることが背教になるんですか」
「兄弟、そんなことは言うもんじゃありません」

厳しい声でたしなめられてしまった。それでもひるまずに

「しかしですね。地域監督が確かにそう言ったんですよね」

“私たちはそれで背教者にされたんですから”と言おうとしたが、その前に話を変えられてしまった。

「今ね、統治体は別のことに取り組んでいるのよね。だからそういう問題は直接扱わないのよ。支部にみんな任せてあるから」
「それじゃ統治体はもう何もしないんですか」
「勧告することはできるわね」

ここで宮坂兄弟がいきなり大胆な質問をした。

「支部が問題ならどうするんですか」
「それは地帯訪問で扱います」
(地帯訪問とは本部の代表者が定期的に各国の支部を訪問する取り決め)
「あのヨブの劇はどうなるんですか。劇は作っても実際そのようにはしないんですか」
(1985年の地域大会で行なわれた劇でヨブが貧しいやもめを助けて公正な裁きを行なう場面があった。彼はそのことを指摘したのである)
「……」

アツ子姉妹も返答に困ったようであった。

「支部は大会のプログラムをもう勝手に変えてますよ。そういう権限があるんですか」
「どういうことですか」
「背教のプログラムです」
「それはね、最近アメリカでもかなりの背教があったのでそういうプログラムを組んだんです」
「しかしほとんどのプログラムですよ」
「……」

アツ子姉妹が沈黙してしまったので、ここで会話は一端とぎれてしまった。この辺では、多分もう駄目ではないかと思い始めていた。責任のある兄弟には会えそうにないし、姉妹の話から判断すると、統治体には今すぐこの問題を扱う気はまったくなさそうであったからである。少し間をおいて、アツ子姉妹は宮坂兄弟の質問には答えず、次のように勧めた。

「それじゃね、兄弟たち、手紙を書き続けたらどぉ」
「……」
「とにかく手紙を書き続けることね。日本支部にも分かってくれる人がいるかもしれないじゃない。きっといるはずよ。それに兄弟たちが手紙を書き続けたら何か問題が明らかになるかもしれないしね」

日本支部には他に何か問題があるのだろうか。少なくとも統治体はそのように考えているらしい。しかしまだ扱えるだけの証拠を得ていないのであろう。残念だがそれなら今は仕方がないか。そう思うことにした。

「それから、こういう問題はサービス・デパートメント(奉仕部門)で扱っています。外人ははっきり書かないと何をして欲しいのか分からないからはっきり書くことね。自分たちが正しいと思うなら一年くらい手紙を書き続けて頑張ってみたらいいでしょう」
「雑誌は来なくなりますしね…」
「それは予約すればいいでしょう」
「文書も来なくなりますしね…」
「注文したらいいでしょう」
「王国宣教も来なくなるし…」
「それは仕方ないでしょう」

結論は出てしまった。要するに、手紙を書き続けて一年くらい頑張るしかないということである。しかも、本当に扱ってくれるのかどうかの保証もまったく無く。しかしどうにも諦め切れずに最後の抵抗を試みた。

「姉妹、法廷には天の法廷と地上の法廷があるでしょう」

“どうして統治体は天の法廷の権威を認めないのですか。いったい天の法廷の権威をどう考えているんですか”と聞こうとしたが、姉妹は話を遮ってしまった。

「兄弟たちは正しいと思う」

こう言われてはもう尋ねても無意味である。正しいと思っても扱えない事情があると判断せざるを得ない。

「残念ですね。会衆は真っ二つになったままですし」
「そうですよ。王国会館だって建つところまでいってたのに」
「……」
「では大会の主題しかありませんね」
「……」
「Integrity Keeper」(忠誠を保つ人)

話し合いは終わった。瞬く間に一時間半が過ぎ、時刻は12時半になった。アツ子姉妹は夫との約束の時間だといって席を立った。エレベーターの近くまで送って行くと最後に、「兄弟たち頑張ってね」といって去って行った。

フルヤ兄弟は話し合いを聞いていて、何とかしてあげたいと思ったらしい。それで何度か責任のある兄弟たちに連絡を取ってくれていたようである。時々席をはずしては電話をかけていた。ところが最後の電話が終わると彼の表情は一変してしまった。

「僕言われました。『これ以上関りを持つと兄弟の組織に対する忠誠が試されます』と。何度来ても同じだと思います。恐らく駄目でしょう」。彼は震えていた。まさに恐怖に脅えているといった表現がピッタリする様子で、ニューヨーク訪問の中でも一際、強烈な印象として残った。フルヤ兄弟は本当に誠実な良い人であった。“助けになりたい”という誠意にあふれていた。それがあのたった一言で、あれ程変わってしまうとは。組織という言葉は何と強力な力を持っているのだろう。“すごい”と思った。

おそらくこの時の強烈な印象が“組織バアル”を思い付くきっかけになったものと思われる。

本部の結論が出てしまった以上、もうニューヨークにいる必要はない。飛行機の予約を変更して早目に日本に帰ろうと思い、その交渉をフルヤ兄弟にお願いした。彼は非常に困ったという様子であったが、それでも予約変更の交渉、タクシー、ホテルの手配などの親切を示してくれた。結局、予約の変更は駄目であった。

「本当にこれで終わりだろうか、これで終わってしまうんだろうか」という思いに駆られながらタワーズホテルを後にした。あれこれ考えているうちについたのはモーターホテルというところであった。チェック・インを済ませ、部屋に落ち着くと無性に日本に帰りたくなった。今考えると何ともおかしくなるが、この時はまともに日本に帰れるだろうかと本気で心配した。何しろニューヨークのどこにいるのかまったく分からなかったし、一日で500ドル(12万円)も使ってしまったからである。

ともかく昼食を取ろうと外に出た。場所を確認してみると42番街のウエストサイドであった。日本食店を探して通りを4つくらい歩いて行くと、「焼天」という店が見つかった。そこでケネディ空港に行く方法を尋ね、ホテルの近くにバスセンターがあるというのを聞いて一安心した。

(4) 国際連合、メトロポリタン・ミュージアム

結局予約の変更はできず、兄弟たちはニューヨーク見学を楽しむことにした。最初に尋ねたのは国際連合であった。

国連は近い将来、宗教との関連で極めて重要な役割を果たすことが、聖書預言の中に記されている。わずかでもそうした徴候があるかどうかを兄弟たちは見たいと思った。

月曜日の午後に見学したが、偶然月二回しかない日本語の案内が始まる15分前に国連ビルに入ることができた。見学コースを回りながら、聖書預言との関連から常任理事国について詳しく尋ねた。

「常任理事会は決められたときにしか開かれないのでしょうか。」
「いいえ、そんなことはありません。常任理事の一人が招集すれば、いつでも開くことができます」
「最近、そのようなことはありましたか」
「ええ、ありましたよ」
「常任理事会の決議はどの程度の拘束力を持つのでしょうか」
「常任理事会と国連総会の関係はどうなっているのでしょうか」

などとしつこく聞いたせいであろうか、ガイド嬢は「資料を差し上げましょうか」と言って、資料室へ案内してくれた。様々な資料(一年間の決議事項、主要機関名簿等)を入手し、国連を後にした。

二人で国連のビルを眺めながら

「兄弟、いまだ時至らずだねぇ」
「う〜ん、これは当分ないよ」

次の日、メトロポリタン・ミュージアムに出かけた。建物は非常に大きいもので、エジプトのカルナック神殿、各国のガラス細工、絵画、中世ヨーロッパの武具の展示など、陳列物の多さとその規模に圧倒され、全部を見るには疲れ果てるくらいであった。

とりわけ印象に残ったのは宗教画の数の多いことであった。いかに宗教が人々の思想に深く関ってきたかを感じさせられた。アメリカ、ヨーロッパで育った人々には、伝統的なキリスト教のイメージから離れて、反対するにしても賛成するにしても、白紙でキリスト教を考えるということは難しいだろうなと痛感した。

思わず立ち止まってしまったのは、メリバの泉でのモーセを描いた絵の前であった。激怒して岩を叩くモーセ、快楽にふけるイスラエル人、それを上から冷ややかに見詰めるみ使いたち。

「いやぁ、モーセも大変だったんだね」
「うん、そうだね。それにしても現代の民もたいして変わらんねぇ」

9月13日、午前8時、バスステーションからケネディ空港へ向かう。午前11時10分ノースウエスト017便にて帰国。

9月14日、午後19時40分千歳空港到着。

8章 Legal Case

(1) リーガルケース(法的係争)

エホバの証人は、法的手順を踏んで扱う問題をリーガルケースと呼んでいる。本部での話し合いをもとに、今回の事件をリーガルケースとして想定すると、三通りの解決のパターンが考えられた。

  1. 大会のプログラムなどから判断すると、現実的な可能性はもうほとんどなかった。単に段階を踏むために必要だと考えられた程度にすぎない。
  2. 会衆が最も期待していたのはこのコースであった。ただし支部だけが問題で、統治体と本部は正常であるという条件付きであった。
  3. この可能性は少なかった。本部と統治体は組織上は一体なので、切り離して考えることはできないからである。組織全体が腐敗しているという最悪のケースを想定した場合、統治体を経なければならなくなるので、その時に必要となる法的手順であった。

兄弟たちが帰国すると会衆は直ちにこの作業を開始した。

(2) 手順を踏む

<1985年9月中旬〜11