エホバの証人としての人生、そして私が辞めたわけ-1(匿名)−48年間活発に奉仕していた主婦がエホバの証人を辞める:原文(英語)
人はさまざまな理由からグループに入ったり、出たりするものです。私たちのような他のグループのことを全く知らなかった人間が、このグループを離れるというのはまれなことだと思います。私たち夫婦はともにエホバの証人の3世で、子供たちすべてをエホバの証人として育てましたが、ここ4年で私たちの近親者はすべてエホバの証人を辞めました。

私は証人であった頃多くのことを学びました。多くの国籍の異なる人々と親睦を深め、様々な人と心を通わすことができました。逆境に立ち向かう勇気を身につけ、どんな状況下でも話せるようになりました。私は積極的に戸別訪問に参加し、一カ月に平均して25-30時間を費やす活発な伝道者として48年間歩んできました。聖書を愛するようになり、誠実に神に仕えてきました。人々に愛を示し、もてなしの精神を持っていました。また社交性にも富んでいました。私たちの家で社交的な集まりやパーティーを数多く催し、プロに負けないほど多くの結婚式を企画しました。楽しい生活を送っており、何も変えるつもりはありませんでした。人生を楽しむためにエホバの証人を辞めなければならないなんて考えもしませんでしたし、数年前まで自分はとても従順だと思っていました。

私はある思いを長い間抑えていました。それは何かする人より何もしない人のほうが立派なエホバの証人とみなされているという認識です。過去もそして現在でも、証人は大学に進学することや、家を購入すること、結婚すること、子供をもうけること、地域活動に参加することを勧められてはいません。私の「友達」はすべてエホバの証人でしたし、身内も全員エホバの証人でしたので、世間から非常に隔離された生活を送っていました。しかし私はその箱の中で幸せでした。

母親として子供を愛していましたので、彼らが成長するに従って、教えられることはすべて教え、またできる限り多くの技能を習得させたいと考えていました。私たちの子供には長年にわたって水泳とピアノのレッスンを受けさせました。これは例外的なことだと思います。なぜなら私の知る限り、他にピアノを習っていたエホバの証人の子供は二人しかいませんでしたから。組織は放課後のスポーツ活動を禁じていましたが、私たちは子供たちをいろいろなところに連れて行き、スキーを習わせたりもしました。彼らは運動が得意で概してすばらしい人生を送っています。私は非常に組織だった行動をとるようにもなりました。会衆での多くの活動や、集会、奉仕で、また夫は26年間長老でしたので家を空けることが多かったこともあり、私はとても多忙な日々を送っていましたが幸せでした。命じられた通りに行動し、たとえ教義や規則に理解できない点があっても、それを表に出すようなことはしませんでした。

→証人としての人生-2
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