1章 広島会衆の歩み

ものみの塔協会は地域ごとの信者の集まりを会衆と呼んでいる。現在、全世界には約52,000の会衆があり、活発な伝道活動を行っている。日本では1800以上の会衆に、約26万人ほどの人々が集っていると報告されている。

広島会衆は、1978年9月、札幌・豊平会衆から分会し、伝道者15名から成る会衆として発足した。金沢兄弟、姉妹は広島会衆設立のため、秋田県能代会衆からものみの塔協会の任命でやって来た。

その当時の広島会衆の状況は決して良いものではなかった。伝道は比較的熱心であったが、内部の霊的状態(精神状態)は荒廃していた。表では時々取り繕った笑顔、裏では不平、不満、陰口、悪口、噂話などが横行していたのである。

成員の霊性のひどさを物語る典型的な例を一つ上げよう。あるとき三人の姉妹たちの間で中傷の問題が生じた。当事者同士の話し合いでは解決できず、問題は会衆へ持ち込まれた。そこで話し合いの場が設けられたが、その集まりの中で二人の姉妹が立ちあがり、あわや掴みあいのケンカになりかねないという一幕があった。「仮にもエホバの前です。場所をわきまえなさい」という金沢兄弟の一言で、ひとまずその場は収まったのであるが。

こうした実態に驚いた金沢兄弟が他会衆の兄弟にそのことを話したところ、それくらいまだいい方だとか、札幌のほとんどの会衆がそんなもんだよと慰められ、唖然としたという。金沢兄弟が広島に来る前にいた地方では、いくらひどくともそのようなことはなかったので、常識が違うと感じたそうである。

会衆で生じる人間関係のトラブルを聞くたびに、金沢兄弟は何とかしなければと考えるようになった。やがて時期を見定めてから、集会で「今後このような陰口、悪口、噂話などを放置するようなことは絶対にしない。それでもなお、陰でそういうことを続ける人がいれば、断固として扱う」という方針を発表した。そして、陰口や悪口を言い合うことがクリスチャンとしていかにふさわしくないかを強調し続けた。

それでもすぐにはよくならなかったが、強い決意を持って臨んだ結果、かなりの成果を得ることができた。会衆の霊性は大いに改善され、人数も徐々に増えていった。

広島会衆が取ったこの方針は、ものみの塔協会の教えに基づいたものである。同協会は、人類社会の中に見られる腐敗した邪悪な精神を世の霊と呼び、それを避けるようにと指導している。

「平和と安全」の本の中には次のように述べられている。

「世の霊を表わし、人生に対して世と同じ見方を持つなら、わたしたちは神の友ではなく世の友であることになります。世の霊は「肉の業」、すなわち「淫行、汚れ、みだらな行い、偶像礼拝、心霊術の行ない、敵意、闘争、ねたみ、激発的な怒り、口論、分裂、分派、そねみ、酔酒、浮かれ騒ぎ、およびこれに類する事柄」を生み出します。聖書は、『そのような事柄を習わしにするものが神の王国を受け継ぐことはない』とはっきり述べています」(p.25)

敵意、闘争心、そねみなどの世の霊は、「王国を受け継ぐことができない」とみなされるほど重大な罪とみなされている。そのため指導の任にあたる監督(長老)には、会衆からその種の悪い精神を締め出し、成員を保護すると言う責務が課されているのである。

ところが札幌に限らずほとんどの会衆で、この種の問題は野放しになっている。ものみの塔協会はひたすら成員を増やすことに熱心で、内部の霊的状態にはそれほど関心はない。それでは指導者層は実態を知らないのかというと、決してそのようなことはない。本当は幹部クラスの監督たちが一番よく知っているのである。だからこそ取り組もうとしないのかも知れないが。

いずれにしても、ものみの塔協会は裏の真実の姿を知っているにもかかわらず、外部には霊的パラダイスは成就していると宣伝しているのである。組織の偽善的な一面はこの部分にもよく現われている。

さて、こうしたことがあってから4年後の1984年3月、支部委員パーシィ・イズラブ兄弟が北海道を訪問した。各国の支部には通常4〜7名からなる支部委員会があり、その国のすべての会衆を監督している。支部委員はときどき各地を訪問して兄弟たちと会合を持ち、必要な組織からの指示を伝える。その時は長老や開拓者の資格が取り上げられ、本当に資格に適うよう調整することが必要であるという点が強調された。

開拓者について、「私たちの奉仕の務めを果たすための組織」の本114頁には次のように述べられている。

「正規開拓者としての任命を受けるために、あなたは現在、一年に1,000時間という野外奉仕の目標を達成できる立場にいなければなりません。これは要求です。…あなたは自分が割り当てられる会衆といつでも密接な協力を保って働かなければなりません。……しっかりした道徳的生活を送り、模範的な伝道者であることを示していなければなりません」

エホバの証人の社会では奉仕者の立場として、伝道者、正規開拓者、特別開拓者、宣教者があり、開拓者以上は長老や監督と同じように一つのステータスシンボルになっている。「開拓者に非ずば人に非ず」という風潮があるくらい、開拓奉仕を促す有形無形の圧力は強い。しかしこれは逆に言えば、資格のない人が大勢開拓者になっているということでもある。組織も建前とは異なって、実際は資格云々よりも開拓者の数が多ければよいという考え方をしている。各会衆には開拓者の数を競争するような傾向があり、組織もそれを歓迎している節がある。

しかし取り決めでは一応、「会衆と密接な協力を保って働くこと、道徳的な生活を送り、模範的な伝道者であること」という資格を満たしていなければならないことになっている。イズラブ兄弟の訪問では特にその面が指摘され、開拓者としてふさわしい行状を保つよう調整することが強調されたので、この訪問のすぐ後、広島会衆では開拓者との集まりを開いた。

「本当の意味で開拓者としての資格を満たすようにという指示が組織から出されていますので、その点で各々調整を計って下さい。広島会衆としては当分の間それを見守ることにします。」

ほとんどの開拓者はそれに同意し、調整するよう努力したが、その中で問題となったのがA姉妹であった。彼女は感情の起伏が激しく、良いときと悪いときが極端であった。競争心や嫉妬心、独占欲が強く人間関係のトラブルが多いタイプであった。そのため会衆と協力して働くことが難しかったのである。

A姉妹は何度も「改善します」と約束したが、実際にそれを果たすことはなかった。そのうち1984年の9月頃になると、金沢兄弟に、「笹山兄弟のところに行くけどいいの。兄弟、本当にそうしてもいいの」と言い出すようになった。あとから分かったことであるが、支部に送った訴えの資料はこの時期から準備されていたものであった。

A姉妹の状態は一向に良くならず、ついに会衆は彼女の開拓者の資格を問題にしなければならなくなった。いろいろと紆余曲折はあったが、最終的には本人の同意を得ていったん開拓者を降りてもらうことになった。

ちょうどそのころA姉妹の件と並行して、中高生の伝道者たちの問題が持ち上がった。伝道や集会に出てはいても、心は異性、芸能人、スポーツ選手のことに奪われているという状況が明らかになったのである。中には、机の上には芸能雑誌とカセットテープ、教科書や聖書は引き出しの中という伝道者もいた。さらにデートをしているという報告が相次ぎ、会衆としてはそれらの問題を放置しておくわけにはゆかなくなった。親が子供たちの実情をよく知らないということも大きな問題であった。

ものみの塔協会は、デートは単なる娯楽や楽しみのためのものではなく、結婚生活に伴う責任を果たすことのできる人々が、結婚を前提に行うものであると教えている。会衆はそうした指針に従って若い人々を援助しようと考えた。ほとんどの子供たちはその援助を受け入れて調整したが、K姉妹の娘さんだけがそれを受け入れず、行状を改めようとはしなかった。

やがて1985年の春ぐらいになると、外部の人々から非難の声が上がるようになった。聖書を他の人に教えていながら、学校で番長グループと呼ばれるような生徒たちと付き合っているとか、近所でも不良の溜り場と見なされているような所へ出入りしている、というたぐいのものであった。いかに子供とはいえ、伝道者として神の名を担っている以上、ふさわしくない行状が報告されればそのままにして置くことはできない。また親であるK姉妹の開拓者の資格にも関わることなので、実態を調査することになった。(もっとも後で、「調べること自体、本人を傷つけるので調査したのは良くなかった」と述べた監督もいて唖然とさせられたが…)

そこでK姉妹親子を援助するための集まりを開いた。始めは二人とも報告された事実を否定していたが、最後に悪い交わりをしているということを認め、集まった全員の前で改善することを約束した。しかしこの約束は一週間後にあっさり覆されてしまった。

この一連の問題でK姉妹は開拓者の資格を失うことになった。

この時期、ものみの塔協会はイザヤ60章22節、「小さな者が千となり、小なる者が強大な国民となる」という聖句を用い、霊的に成長するようにと強調していた。その成長を遂げるために「心」の教育に重点が置かれ、ものみの塔誌にはその点に関する記事が多く載せられるようになった。

例えば1985年7月1日号の「平和を求める人々は本当に必要です」という記事には次のように述べられている。

「神の霊によって私たちの心の中に平和がはぐくまれない限り、私たちの生活に永続する真の平和はあり得ません。…平和を奪うことを習慣にしている人を駆り立てている悪意のある精神は、利己的な欲望から出ています。…会衆の調和を乱す者たちは、利己的な欲望が『自分自身の中で闘う』のを許しているので、平和を求める者になろうとしません。そして、闘争心が体内に宿るのを許します。…したがって神の平和をはねつける人は、実際には神と闘っています」(p.12、14、15)

事件の始まる直前、広島会衆は「強大な国民」を目指して、会衆の中から世の霊、悪霊的な精神を締め出し、もっと産出的な業に取り組もうとしていた。ほとんどの成員はこの方針に協力し、会衆の拡大と発展のために努力しようとしていたが、こうした流れにどうしても調和できなかったのがA、K両姉妹であった。

二人は自分たちの要求を通そうとして、羊ヶ丘会衆の笹山兄弟のところへ駆け込んだ。やがて、彼らに日本支部、本部、統治体が加わり、大きな事件に発展して行く。しかし、組織の体質などの本質的な要因を別にすると、今回の大事件も直接のきっかけは、実につまらないところにあったのである。