Ⅳ. ものみの塔協会は神の組織ではない 1

「証拠1」 ものみの塔の幹部は偽善者である

「ものみの塔協会の宣伝」
「エホバの証人に指摘できる点」

証拠資料と解説

1. 平然と『公約違反』をするものみの塔協会

今までに寄せられた報告からすると、組織内の人に最も大きな衝撃を与えたのは、「事件簿」で明らかにされた幹部の『公約違反』と『偽善』であった。

これはエホバの証人の信条からすると当然のことである。というのは、楽園に導く唯一の組織であると信じていた統治体、ものみの塔協会が『偽善の組織』だということになると、将来の楽園の約束が全く信用の置けないものになってしまうからである。それだけを楽しみにしてがまんして奉仕しているエホバの証人にとってみれば、これは実に深刻な問題となる。

加えてものみの塔協会の宣伝も良かったのである。純粋な人はそれを鵜呑みにして信じている。例えば、「二十世紀のエホバの証人」という小冊子(p.21)には、

「言うことと行うことが違うのは偽善であって、宗教上の偽善は多くの人を聖書から引き離してきました。…書士やパリサイ人もヘブライ語聖書を持っていましたが、イエスはそれらの人々を偽善者としてとがめました。…クリスチャンが正しい生き方を自ら実践するなら、それは幾時間もの説教に勝る説得力となります。」(下線は発行者)

また「王国宣教学校の教科書」(p.85)には

「あなた方の兄弟たちの間で聴聞を行うとき、あなた方は…義をもって裁かねばならない。」(申命1:16新)人々の命や関係に影響する問題を裁くのは重大な責任です。長老たちは…妥当な程度の完全な理解を得なければなりません。…どんな時でも、偏らずに行動しなければなりません。−テモテ第一5:21

と記されている。

これは間違いなくものみの塔協会の「公約」である。こういう主旨のことは、機会がある度にものみの塔誌や目ざめよ誌でも宣伝しているわけだから、この公約は守られているはずだと普通のエホバの証人は考える。まさか、不公正で不義に満ちた裁判がまかり通っているとは、模範とならねばならない幹部が率先して裁きを曲げているとは夢にも思わない。何しろこの人たちは千年統治でキリストの代理をして地球を治めると言っているのだから。

ところが、実態は宣伝とは大幅に異なっている。ものみの塔協会の『公約』がいかに信用の置けないものであるか、組織の幹部に都合が悪くなるといかに簡単に破られてしまうものであるかは、今回の広島会衆の事件が端的に示している(詳しくは、「事件簿」北海道広島会衆発行を参照)。おそらく大多数のエホバの証人は自ら経験しないと、なかなか信じられないのではなかろうか。

世界中で不当な裁判を受けた人々は膨大な数に上るものと思われる。組織に都合の悪い者は背教者にして片付けてしまう。このパターンの被害にあった人は少なくないだろう。広島会衆の問題は、ものみの塔協会の真実の姿を明らかにした典型的な事件であろう。

浮き彫りになった裁判の制度上の欠陥、組織の偽善、偶像崇拝の一部を以下にまとめて記す。

劣悪なものみの塔協会の裁判の仕組み

「エホバの証人に考えさせるべき点」

ものみの塔協会の審理委員会、その裁判制度は神の組織にふさわしいものだとはいえない(エホバの証人は裁判ではなく「審理」という用語を用いる)。

2. 幹部の偽善

偽善的な体質を確かめるのは簡単である。幹部にとって一番都合の悪いところ、最も触れて欲しくないところを突いてみればよい。それでも良心的に行動してくれるなら、その組織は本物である。

しかし偽善者はそうではない。いかに仮面が厚くてもしだいに化けの皮がはがれてくる。最初はいかに調子がよくても、だんだん言うことが変わってくるし、態度もおかしくなってくる。最後は仮面がはがれるのを恐れて逃げてしまう。

一番聞いてほしくないところ、最も都合の悪いところを突っ込んで行くと、偽善的な組職は必ずこのようになる。日本支部のたどったパターンはまさにこうであった。

次のページの手紙は、日本支部の偽善の決定的な証拠といえるものである。

加藤さんは、「自分たちがエホバの裁きを行ったという確信があるなら、誰にはばかることなくその根拠と理由を明らかにできるはずではないか。当事者にも納得できるようはっきり聖書から説明すべきである」と日本支部に書き送った。この手紙はそれに対する返事として、日本支部が送ってきたものである。

ペンシルバニア州の
ものみの塔
聖書冊子協会

1985年11月4日

061-○○北海道札幌郡広島町○○○
  加藤 ○○ 様

前 略

      あなたは最近、当協会の奉仕者本間 年雄氏にご質問の手紙をお送りになられたようです。わたしたちは以前にもあなたから同様の手紙をいただいておりましたので、ここに当協会の見解をお知らせすることにいたします。

      ものみの塔聖書冊子協会の職員もまたクリスチャン会衆内にあって聖職者の立場で働いている長老たちも自分たちの職務を果たす上で、聖書に定められている神の律法および法律が定めた種々の要求につき従うことを堅く決意しております。ご存じのように聖職者に対する刑法上の一つの規定は、刑法第二編第13章第134条にある秘密漏泄罪に関するものです。その一部をここに引用いたします。「宗教・・・ノ職二在ル者又ハ此等ノ職ニ在リシ者故ナク其業務上取扱ヒタルコトニ付知得タル人ノ秘密ヲ漏泄シタルトキ亦同シ」。

      したがって、長老の職にある者(たち)がクリスチャン会衆内での特定の業務を取り扱った結果、当人から知らされた情報のみならず、推理や調査などによって知り得た秘密の事実をまだ知らない人に告知することは、漏泄罪に相当するものです。この理由によりあなたがお尋ねになっている件に関しては、当協会のみならずクリスチャン会衆内に聖職者の立場で仕えるいかなる長老もあなたの求めに応じて情報を提供することができないことをここにお知らせいたします。どうぞご了承ください。

聖書教育に励む
Watch Tower B.&T.Society
of Pennsylvania

非営利法人団体

原本の画像は→こちら

(この手紙が偽善の決定的証拠といえる理由)

3.組織崇拝

「エホバの証人に考えさせるべき点」

ものみの塔協会は、実際はエホバよりも「組織」という名の偶像、「組織」という名のバアルを崇拝しているのではないか。

もし、組織崇拝でないというのであれば、ものみの塔協会は真理、真実を擁護するはずである。ところがものみの塔協会は、現実には真理、真実よりも「組織の取り決め」を優先しており、成員にもそのように指示している。次の手紙はその証拠となるものである。

これは「なぜ勇気を持って真理、真実を擁護しないのか。真のエホバの証人ならそうすべきではないか」という呼びかけに対して、審理委員会の一長老から届いた返事である。

DATE 1985・12・6

前略、金沢 司 様

 度々 お手紙をいただいていますが、私としては、会衆の一長老として、全面的に、その組織の取り決めに従って歩む決意でいます。皆さんが現在、排斥者であるという事実は、私が今この組織にとどまっている以上、この件に関するエホバ神と組織の取り決めを踏み越えることはできませんので 一切の交わりを持てないことを意味します。それは単に勇気とか個人的な見解の問題ではありません。私が行動できるのは、「務め」の本のP 149、150の場合のみです。例外はありません。

上記お知らせします。

署 名

画像は→こちら