証人としての人生-4
私がエホバの証人を辞めることになった要因

(1) 私は本を読むのが大好きですが、私はエホバの証人に批判的なものを目にしたり耳にしたことはありませんでしたし、そうしようとも思いませんでした。それは禁止されていて、私は従順でしたから。私はエホバの証人として育てられましたので、大学に進学することは許されませんでした。しかし自分の子供にはできる限り多くのことを学ぶよう励ましました。家族を養うにはさらなる教育が必要であると考えていましたので、どういった教育を受けるかは子供たちに自由に決めさせました。

(2)私は見下すような扱いは受けたくありません。フェアに接してもらうのが好きです。私たちが辞めてから三人の女性が私を訪ねてきました。私が以前の「友人」に電話をかけると、けんもほろろでした。留守電にメッセージを残すと、彼女の夫が電話してきて「何が望みだ?」と言われました。


(3) 何年にもわたって欺かれてきたことをはっきりと悟ったとき、組織から出ることにしました。1975年が宣伝された時代を生き、また「協会」が不誠実であることを知りました。彼らが1995年に「世代」の解釈を変更したとき、私の心は激しくかき乱されました。私の知る限り、その記事のことを話題にする人はいませんでしたが、私にとっては協会が行った最大の変更でした。何年にもわたって教義や規則に変更が加えられてきましたが、私は協会が言うことすべてに「従う」よう慣らされていました。

(4) 私の息子が自殺を図ったとき、地元のすべての長老たちが、そして協会もそれを知っていたのに、何の助けも与えようとはしませんでした。息子は教えられてきたことを心から信じ、実践していました。私たちはなぜ王国会館で多くの人が息子を避けるのか理解できませんでしたが、だれも理由を教えてくれませんでした。その後息子は一時的な喫煙を理由に即座に排斥されました。

(5) 私のエホバの証人の友人には鬱病でプローザック等の抗鬱剤を服用している人が本当にたくさんいました。私も変わらなければ(離れなければ)彼らと同じようになるだろうと感じていました。

(6) 私は輸血や兵役に関する問題を注意深く研究しました。私は協会が世間の評判を気にして方針を変更しているんだと思います。集団が小さければ、良い評判しかたちませんが、組織が巨大になり莫大な資産を手にすると、それを保護し、敵意に満ちた政府や地域からの「迫害」を避ける必要に迫られます。協会は個々人を気遣うことはありません。人数と統制にしか興味がないのです。

(7) 私は自分自身で決定を下すことができないということにうんざりして辞めました。自分が尊敬できないような独裁的集団に支配されることが嫌になったのです。半世紀が過ぎ、もう大人にならなければならないと思いました。

→証人としての人生-5
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