証人としての人生-3
私たち家族は「ハルマゲドンが1975年に来る」という考えが盛り上がり、そしてそれが偽りであったことが明らかになっても組織から離れることはありませんでした。そう教えられている時でさえ私も夫も信じてはいませんでしたが、その雰囲気に飲み込まれていました。しかし統治体(この組織を動かしている少数の老人)が何らかの「特別な知識」を持ち、1914年を見た世代がハルマゲドンの来る前の最後の世代、つまりこの世代 にあたるということを「知っている」と何度も教えられ、そう信じていました。四世代にわたって(私の祖父母から私の成人した子供に至るまで)終わりは「目前に迫って」いました。

1995年11月1日号の『ものみの塔』で「世代」の解釈に変更が加えられたとき、私は感情を爆発させましたが、その気持ちは夫以外には伝えませんでした。六カ月の間、末の子は何度も自殺を図りました!そのとき私は聖書とものみの塔の出版物だけを使って、本当にすべてを調べました。家族でカウンセリングも受けました。エホバの証人に反するものは一切読みませんでしたし、組織を離れるよう説得するような人と話すようなこともありませんでした。それは自分で決めるべきことでした。それでも奉仕や集会に一度参加しなかっただけで、避けられるようになりました。私たちが1年半前に参加しなくなってから三人の女性と(私たちが招いた)二組の夫婦しか私たちを訪ねてくることはありませんでした。「背教者」の烙印を押され、そして完全に関係を絶たれたことはとてもショックでした。何年にもわたって忠実に仕えてきたのに、だれも私たちに手を差し伸べてはくれませんでした。私は巡回監督や長老にエホバの証人の教えに関していくつかの質問をしましたが、答えようとはしませんでした。協会は今まで私たちを幾度となく欺いてきました。しかしそんなことより、私たち家族全員が思いやりのない扱いを受け、即座に関係を絶たれたことにショックを受けました。

私たちはもうエホバの証人ではありません。王国会館に行くのを辞めるのは非常につらいことでした。みんなのことを友人や家族だと思っていたのに。私は何年にもわたって伝道中にサタンの影響を受けていると何度も言われました。今もエホバの証人の「友人」二人から悪魔的であると言われています。偶然エホバの証人に会うと、私は「おかしくなった、死にそうだ、体も弱っている、正気を取り戻せば群れに復帰するだろう」と言われます。彼らのことは全く気にとめていません。私たちは元の小さなそして幸せな家族に戻ったのです。慣れるまでの間つらい日々が続きました。今も多少そうですが、以前よりももっと幸せで、現実的です。末の子も今は元気になって、大学に通っています。


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