事件簿1章 広島会衆の歩み-4
やがて1985年の春ぐらいになると、外部の人々から非難の声が上がるようになった。聖書を他の人に教えていながら、学校で番長グループと呼ばれるような生徒たちと付き合っているとか、近所でも不良の溜り場と見なされているような所へ出入りしている、というたぐいのものであった。いかに子供とはいえ、伝道者として神の名を担っている以上、ふさわしくない行状が報告されればそのままにして置くことはできない。また親であるK姉妹の開拓者の資格にも関ることなので、実態を調査することになった。(もっとも後で、「調べること自体、本人を傷つけるので調査したのは良くなかった」と述べた監督もいて唖然とさせられたが…)

そこでK姉妹親子を援助するための集まりを開いた。始めは二人とも報告された事実を否定していたが、最後に悪い交わりをしているということを認め、集まった全員の前で改善することを約束した。しかしこの約束は一週間後にあっさり覆されてしまった。

この一連の問題でK姉妹は開拓者の資格を失うことになった。

この時期、ものみの塔協会はイザヤ60章22節、「小さな者が千となり、小なる者が強大な国民となる」という聖句を用い、霊的に成長するようにと強調していた。その成長を遂げるために「心」の教育に重点が置かれ、ものみの塔誌にはその点に関する記事が多く載せられるようになった。

例えば1985年7月1日号の「平和を求める人々は本当に必要です」という記事には次のように述べられている。

「神の霊によって私たちの心の中に平和がはぐくまれない限り、私たちの生活に永続する真の平和はあり得ません。…平和を奪うことを習慣にしている人を駆り立てている悪意のある精神は、利己的な欲望から出ています。…会衆の調和を乱す者たちは、利己的な欲望が『自分自身の中で闘う』のを許しているので、平和を求める者になろうとしません。そして、闘争心が体内に宿るのを許します。…したがって神の平和をはねつける人は、実際には神と闘っています」(p.12、14、15)

事件の始まる直前、広島会衆は「強大な国民」を目指して、会衆の中から世の霊、悪霊的な精神を締め出し、もっと産出的な業に取り組もうとしていた。ほとんどの成員はこの方針に協力し、会衆の拡大と発展のために努力しようとしていたが、こうした流れにどうしても調和できなかったのがA、K両姉妹であった。

二人は自分たちの要求を通そうとして、羊ケ丘会衆の笹山兄弟のところへ駆け込んだ。やがて、彼らに日本支部、本部、統治体が加わり、大きな事件に発展して行く。しかし、組織の体質などの本質的な要因を別にすると、今回の大事件も直接のきっかけは、実につまらないところにあったのである。
→2章 事件の始まり-1
事件簿トップ