事件簿1章 広島会衆の歩み-3
しかし取り決めでは一応、「会衆と密接な協力を保って働くこと、道徳的な生活を送り、模範的な伝道者であること」という資格を満たしていなければならないことになっている。イズラブ兄弟の訪問では特にその面が指摘され、開拓者としてふさわしい行状を保つよう調整することが強調されたので、この訪問のすぐ後、広島会衆では開拓者との集まりを開いた。

「本当の意味で開拓者としての資格を満たすようにという指示が組織から出されていますので、その点で各々調整を計って下さい。広島会衆としては当分の間それを見守ることにします。」

ほとんどの開拓者はそれに同意し、調整するよう努力したが、その中で問題となったのがA姉妹であった。彼女は感情の起伏が激しく、良いときと悪いときが極端であった。競争心や嫉妬心、独占欲が強く人間関係のトラブルが多いタイプであった。そのため会衆と協力して働くことが難しかったのである。

A姉妹は何度も「改善します」と約束したが、実際にそれを果たすことはなかった。そのうち1984年の9月頃になると、金沢兄弟に、「笹山兄弟のところに行くけどいいの。兄弟、本当にそうしてもいいの」と言い出すようになった。あとから分かったことであるが、支部に送った訴えの資料はこの時期から準備されていたものであった。

A姉妹の状態は一向に良くならず、ついに会衆は彼女の開拓者の資格を問題にしなければならなくなった。いろいろと紆余曲折はあったが、最終的には本人の同意を得ていったん開拓者を降りてもらうことになった。

ちょうどそのころA姉妹の件と並行して、中高生の伝道者たちの問題が持ち上がった。伝道や集会に出てはいても、心は異性、芸能人、スポーツ選手のことに奪われているという状況が明らかになったのである。中には、机の上には芸能雑誌とカセットテープ、教科書や聖書は引き出しの中という伝道者もいた。さらにデートをしているという報告が相次ぎ、会衆としてはそれらの問題を放置しておくわけにはゆかなくなった。親が子供たちの実情をよく知らないということも大きな問題であった。

ものみの塔協会は、デートは単なる娯楽や楽しみのためのものではなく、結婚生活に伴う責任を果たすことのできる人々が、結婚を前提に行うものであると教えている。会衆はそうした指針に従って若い人々を援助しようと考えた。ほとんどの子供たちはその援助を受け入れて調整したが、K姉妹の娘さんだけがそれを受け入れず、行状を改めようとはしなかった。
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