*** 塔99 5/1 17-18 「読者は識別力を働かせなさい」 ***

啓示 17章の緋色の野獣は,イエスが言及した「嫌悪すべきもの」

ですから,1919年以来存在してきた「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」が聖なる場所に立つのは,これからであると思われます。 これはどんなかたちで生じるのでしょうか。わたしたちはどんな影響を受ける可能性がありますか。

将来の攻撃

14 啓示の書は,偽りの宗教が将来,どのように攻撃されて滅びるかを描いています。啓示17章には,「大いなるバビロン,娼婦たち……の母」,つまり偽りの宗教の世界帝国に対する神の裁きの概要が示されています。キリスト教世界は中心的な役割を担っており,神との契約関係にあると唱えます。(エレミヤ 7:4と比較してください。)キリスト教世界を含む偽りの宗教は昔から「地の王たち」と不義の関係を持ってきましたが,その関係も,そうした宗教が荒廃するときに終わります。(啓示 17:2,5)だれの手によって終わるのでしょうか。

15 啓示の書には,「緋色の野獣」,すなわち一時のあいだ存在し,姿を消し,その後再び現われる野獣のことが描写されています。(啓示 17:3,8)この獣は,世の支配者たちの支援を受けます。この預言に含まれている詳細な点からすると,この象徴的な獣は,1919年に国際連盟(「嫌悪すべきもの」)として存在するようになり,現在は国際連合になっている平和機構のことであると判断できます。啓示 17章16,17節には,神がいずれ,この『獣』の中でも際立った人間の支配者たちの心の中に,偽りの宗教の世界帝国を荒廃させる考えを入れるという点が示されています。

その攻撃が大患難の勃発となります。

16 大患難の始まりがなお将来のことであれば,『聖なる場所に立つ』のも,まだ先のことでしょうか。そうみなしてよいでしょう。「嫌悪すべきもの」は今世紀初頭に現われて,これまで何十年も存続してきましたが,近い将来,特異なかたちで「聖なる場所に」立つことでしょう。キリストの1世紀の追随者たちは,『聖なる場所に立つ』ことがどのように生じるのか,一心に見守っていたに違いありません。現代のクリスチャンもそうします。確かに,詳細な事柄すべてを知るには,実際の成就を待つしかないでしょう。それでも,注目に値するのは,ある国や地域ですでに宗教に対する反感が見られ,しかも強まっていることです。政治分子の中には,真の信仰からそれた元クリスチャンたちと結託して,宗教全般,特に真のクリスチャンに対する敵意をあおっている人々もいます。(詩編 94:20,21。テモテ第一 6:20,21)ですから,政治勢力は今でさえ『子羊と戦って』います。そして,啓示 17章14節に示されているとおり,この戦いは激化してゆきます。



彼らは神の子羊―高められ,栄光を受けた状態にあるイエス・キリスト―を文字どおり捕らえることはできませんが,神の真の崇拝者たち,特に神の「聖なる者たち」への敵対心をなおいっそうあらわにするでしょう。(ダニエル 7:25。ローマ 8:27; コロサイ 1:2; 啓示 12:17と比較してください。)しかし,わたしたちには,子羊および子羊と共にいる者たちが勝利を収めるという神からの保証があります。―啓示 19:11-21。

17 わたしたちは,偽りの宗教の前途に荒廃が待ち受けていることを知っています。大いなるバビロンは「聖なる者たちの血……に酔って」おり,女王として振る舞ってきましたが,必ず滅ぼされます。彼女は地の王たちに対して汚れた影響力を行使してきましたが,その状態は,「十本の角,また野獣」が彼女に激しい憎しみを抱くようになる時に,劇的に変化します。(啓示 17:6,16; 18:7,8)「緋色の野獣」がその宗教上の娼婦を攻撃する時,「嫌悪すべきもの」は脅威となるかたちでキリスト教世界のいわゆる聖なる場所に立っていることでしょう。 したがって,荒廃は,聖なるものと自称する不信仰なキリスト教世界から始まります。

緋色の野獣は宗教に対する壊滅的な攻撃の陣頭に立つ

『逃げる』―どのように?

18 イエスは,『嫌悪すべきものが聖なる場所に立つこと』を予告した後,識別力のある人たちに行動を促す警告を与えました。イエスは,そのような遅い時点で,すなわち「嫌悪すべきもの」が「聖なる場所に立っている」時に,多くの人が偽りの宗教から逃れて真の崇拝を受け入れる,と言っておられたのでしょうか。そうではありません。その最初の成就について考えてください。イエスは言われました。「ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。屋上にいる人は下りてはならず,家から何かを取り出そうとして中に入ってもなりません。また,野にいる人は,自分の外衣を拾おうとして後ろのものに戻ってはなりません。その日,妊娠している女と赤子に乳を飲ませている者にとっては災いになります! それが冬期に起きないように祈っていなさい」―マルコ 13:14-18。

19 イエスは,ユダヤ人の崇拝の中心地から出さえすればよいかのように,退去する必要があるのはエルサレムにいる者たちだけである,とは言われませんでした。また,その警告に,宗教を変える,すなわち偽りの宗教から逃れて真の宗教を受け入れるようにということは言われていません。イエスの弟子たちには確かに,ある宗教から離れて別の宗教に逃れるようにという警告など必要ありませんでした。彼らはすでに真のクリスチャンになっていたからです。それに,エルサレムおよびユダヤ全域でユダヤ教を実践していた人たちが,西暦66年に攻撃を受けたためにその宗教を捨ててキリスト教を受け入れたわけでもありません。ハインリヒ・グレツ教授は,退散するローマ人を追撃した者たちが都に戻ったことを述べています。「熱心党の者たちは,歓喜の軍歌を声高らかに歌いつつ,(10月8日)エルサレムに戻った。彼らの胸は,自由・独立という喜びの希望で高鳴っていた。……神は,父祖たちを助けられた時のように,憐れみ深く自分たちを助けてくださったのではないか。