8章 いいかげんな預言の解釈

 いいかげんだといえば本人たちには心外かもしれないが、結果としてそうなっているのだから、これは仕方のないことである。その原因は解釈の方法そのものにあるというよりは、そういう解釈を導いてきた根本理念の方にある。そちらの方がはるかに責任は大きい。つまり、前提の方が悪いのである。
 前の章でも取りあげたが、他でもない、それはすべての解釈の基準となっている「組織論」と「1914年」の教義である。ものみの塔協会はこの二つの教義を大前提として他の預言を解釈しているので、結果としていいかげんなものになってしまったのである。
 それは取りも直さず、ものみの塔協会の組織論と1914年の教義に対する反証にもなる。いいかげんな解釈が出てくるということは、組織の教義と1914年の教義が間違っていることを意味するからである。

(1) 2300日の後に聖所は回復される

《2300日の預言とは》

 ダニエルは一頭の雄山羊が二本の角のある雄羊に突進して行くのを見た。雄山羊は雄羊を倒したが、力の極みで角が折れてしまう。折れたその角の代わりに今度は4本の角が生え、雄山羊は全地に向かって行く。やがてその4本の角のうちの一本から小さな角が生えてくる。小さな角は強大になり、聖所を汚し、真理を地に投げうつ。ついに小さな角は天軍に戦いを挑むが、最後には滅ぼされてしまう。
「2300日」の預言はこの幻の最後、ダニエル8章13、14節に出てくる。以下はその部分の新共同訳と新世界訳からの引用である。

 この預言的な幻はいったい何を意味しているのであろうか。ダニエルにその解き明かしを伝えるために派遣されたみ使いガブリエルは、次のように説明している。

 二本の角のある雄羊は、メディアとペルシャの王を表している。メディアとペルシャは毛深い雄山羊、すなわちギリシャの王によって滅ぼされる。メディアとペルシャを滅ぼしたギリシャの第一の王とは、アレキサンダー大王のことである。彼は権力の頂点で倒れ、その王国は四つに分裂した。
 やがてこの四つの国の一つから、一人の強大の王が出現する。この王は聖徒たちと戦い、聖所を汚す。しかし、「2300日」を経て聖所は清められる。 
 み使いガブリエルの解き明かしを簡単に要約すると以上のようになるが、この説明とダニエルの幻に関する記述から、「2300日」の預言の特徴を整理すると次のようになる。

 以上の特徴が「2300日」に関する預言を解くカギとなる。これらの特徴のすべてが満たされていなければ、完全な成就といえないのはもちろんのことである。
 ものみの塔協会の解釈が正しいのか、それともそうでないのかは、これらの特徴と比較してみればすぐに明らかになる。

《ものみの塔協会の解釈とその問題点》

 「1914」年の場合のように「2300日」に関しても、ものみの塔協会は途中で解釈を変えている。およそどちらもまともな解釈とは言い難いのであるが、最初に、古い方の見解を見てみることにする。
 変更される前の見解は、「御心が地になるように」という本に載っている。「2300日」の期間がいつかについて、「御心」の本は次のように記している。

  「すでに学んだごとく預言的な時を数える聖書の規則を適用するなら、三六0日を預言的な一年とする基礎的な単位にもとづき、二、三00の夕と朝は六年四ヶ月と二十日に相当します。一日は夕と朝によって構成されています。(創世1:5,8,13,19,23,31)一九二六年五月二十五日のロンドン国際大会の最初から二、三00の夕と朝を計算すると、一九三二年十月十五日に達します。」(P214、215)

 なぜ「2300日」が「1926年5月25日〜1932年10月15日になるのかはこの引用の前後で説明されているが、何ともはっきりしない解説である。話があちこちにとんでいて論理の一貫性はあまりない。まとめるにはかなり苦労するが、一応ものみの塔協会の立てた論理を追ってみると、

となる。
 つまり簡単に言えば、真理に敵対して聖所を汚す特異な王とは「英米世界強国」、その英米世界強国が聖所を汚すべく設立したのが「国際連盟」、聖所とは文字通りの建物ではなく「組織の霊的な状態」、民主的な選挙をやめて神権的な任命制にしたので聖所は清められた、その顕著な時期を追ってゆくと「1926年5月25日〜1932年10月15日」になるというわけである。
 選挙制度の問題を扱ったものみの塔誌が発行されたり、顕著な大会が開かれたりしたことが、この期間の根拠とされている。そして1914年から「終わりの日」が始まったという教義が、この解釈の大前提になっている。
 しかしながら、これはもう一見しただけで、とうてい成り立つ論議ではないということがわかると思う。「2300日」の預言の特徴の大部分は、全く満たされていないからである。
 以下にその点を具体的に列挙する。

  1. 英米世界強国は人手によらないで強大になったのではない。
  2. 長老を民主的に選ぶことは国際連盟が強制したことではなく、初代会長C・T・ラッセルが導入したものである。
  3. 緒国民が国連を支持したことは、聖所を汚すこととは直接関係がない。聖所級の人々(天に行くことを表明している人々)は国連を支持しなかったと記されているので、全く関係のないことを論拠にしている。
  4. 1976年年鑑(日本語版p.137〜139)によると  が成就したと説明されている。これは、日ごとの供え物が廃され(言い換えると神への賛美の犠牲が妨げられること)聖所が荒廃するという、「2300日」の預言の特徴に矛盾する。
  5. 英米世界強国は「2300日」が過ぎても砕かれてはいない。

 これだけの問題点をよくぞ無視したものだと思う。論議を取り繕って一応の体裁を整えるには、かなり苦労したに違いない。
 しかしはっきりいえば、これは相当にいいかげんな解釈である。なかでも極めつけは「2300日」の期間決定の主な根拠にされている、「選挙による長老の選出制」という問題である。「御心」の本を書いた人は気がつかなかったのかもしれないが、この解釈では聖所を汚した直接の当事者は「国際連盟」ではなく、「C・T・ラッセル」その人ということになってしまう。
 繰り返すが、会衆の長老を選挙で民主的に選ぶというのは、英米世界強国や国際連盟がものみの塔協会に強制したことではない。それは、他ならぬものみの塔協会の初代会長C・T・ラッセルが導入したものである。民主的な選挙が聖所すなわち組織の霊的状態を汚したというのであれば、聖所を汚したのは国際連盟でも英米世界強国でもない。なんと、その張本人はC・T・ラッセルであったという結論になってしまうのである。
 それでも、ものみの塔協会得意の責任転嫁の論理でゆけば、C・T・ラッセルは英米世界強国の民主的な考えに影響されてそうしたのだから、「御心」の論議は成り立つというかもしれないが、どうこじつけてもそれはとうてい無理な話である。誰に影響されようがやった本人はC・T・ラッセルなのだから、聖所を汚した責任者はC・T・ラッセル以外にはあり得ないということになる。
 何ともこれはおそまつな解釈である。もっとも,私たちも組織の中にいたときには全く気がつかなかったのだから、あまり大きなことは言えないが。
 さすがにこれではものみの塔協会も、あまりにもひどいと考えたのであろう。やがて見解を調整することになる。その変更された「2300日」の新しい解釈は1972年3月1日号のものみの塔誌に載せられている。これが最新の記事である。これ以降、正面から「2300日」の預言を取りあげた記事は出ていない。
 いつものことながら変更に関するコメントはいっさいない。この記事もまた実にわかりにくい記事である。実質のなさをカモフラージュするために、わざとそうしたのではないかと勘ぐりたくなるような内容である。
 次の表は、ものみの塔誌(1972 3/1)に載せられた、「2300日」の新しい見解を整理したものである。見るとすぐ分かるように、初めをどう合わせても終わりには何もないという結果になっている。

2,300日の始まりと終わりをしるしづけるできごと
日付俗界神権的領域
1938年6月1日「ものみの塔」誌は「組織」と題する記事の
第I部を発表
1938年6月15日「ものみの塔」誌は「組織」と題する記事の
第II部を発表
1944年10月2日ペンシルバニア州ピッツバーグで開かれた、
ものみの塔聖書冊子協会の年次業務総会は、
修正事項に関する決議を採択し、協会の定数
を前途の最終的なわざおよび神権的な取り決
めによりよく沿えるものにした。
1944年10月8日1938年6月1日から計算した場合の2,300日
の終わり
1944年10月9日アメリカ合衆国、グレート・ブリテン、ソビエト
連邦および中華民国は、「国際連合」建
設提唱する決定を発表
1944年10月15日「ものみの塔」誌は「最終的なわざのために
組織される」と題する記事を発表
1944年10月22日1938年6月15日から計算した場合の2,300日
の終わり
1944年10月23日フランス臨時政府に対するアメリカの承認が
発表され、フランスは国際連合の中で地位を
高められた。ソビエト連邦、連合王国、および
カナダも同様の発表を行なう。
1944年11月1日「ものみの塔」誌は「活躍する神権組織」
および「今日の神権的路線」と題する記事を
発表

 「聖所を汚すこと」は「長老の民主的な選出制」という問題から「第二次世界大戦中の迫害」に変えられているが、結局はこの新たな解釈も「御心」の場合と大差はない。「2300日」の預言の特徴の大部分は全く成就していないからである。
 特に問題となるのはこの新たな期間でゆくと、国際連盟が第二次世界大戦の影響でほとんど機能を停止してしまったという点である。幾度も繰り返して連盟が「荒らす憎むべきもの」であると主張している以上、連盟が聖所を荒らすことに直接関わっていないのはおかしな話である。また順序からいえば、連盟が無活動状態になると「2300日」の期間が終了していなければならないのであるが、実際はそうなっていない。この点も事実とは全く合わない解釈になっている。
 この「2300日」の預言のすべての特徴を満たす出来事はまだ生じていない。現時点では、荒らす憎むべき者も小さな角も、特徴は識別できてもその実体を特定することはできない。

(2) 3時半

 聖書預言の中で最大の頂点を成しているのは、何といっても“大患難”“ハルマゲドン”に関する預言であろう。この「3時半」という期間は、大患難と直接関わっているので非常に重要な預言的期間といえる。ものみの塔協会にとっては特にそうである。というのは初代会長C・T・ラッセルが「1914年ーハルマゲドン説」を唱えて以来、ものみの塔協会は「終わりの預言」で人々を集めてきた背景を持っているからである。

《3時半が終了すると・・・》

 預言的な「3時半」は聖書中の何か所かに出てくるが、大患難とセットで登場するのはダニエル12章である。北の王と南の王に関する長い預言を終えたあと、み使いはダニエルに次のように述べた。

 北の王と南の王の抗争の最後には、ミカエルが立ち上がり、大患難が起こる。しかし神の民、命の書に名を記されている者たちは皆救われる。続いて死者(善人も悪人も含む)の復活が生じ、神の義が永遠に確立される。
 こうした壮大な預言が成就するのは、一体いつのことであろうか。
聖書預言を学ぶ者にとっては非常に興味のある問題であるが、この点についてダニエル12:5〜7には次のように記されている。

 一時と二時と半時、合計すると「3時半」になるが、この「3時半」という期間がカギを握っている。これはダニエル12章6節の質問(簡単にいえば最終的な成就はいつになるのか)に対する答えとして与えられたものである。
 ダニエルに伝えられた驚くべき預言、末の日における南北の王の最後の抗争、ミカエルが立ち上がること、大患難、神の民の救出、死者の復活等は、亜麻布をまとったみ使いによれば、それは定められた「3時半」が過ぎるとすべて成就するという、つまり「3時半」の終わりには、預言として語られたこれらのことはみな成就を開始していなければならないということになる。もしそうでないとすれば、それは間違った解釈になる。
 ポイントになるのはこの点である。ものみの塔協会の解釈が正しいか、それとも間違っているかを見定める決定的な基準になるのは、「3時半」に関連する預言が成就しているかどうかである。

《ものみの塔協会の解釈は成立しえない》

 この「3時半」が何時かについて、ものみの塔協会の説明は次のようになっている。

  「この三年と半年が終わるとき、エホバ神の聖なる民、聖徒、聖所級の力を打ちくだくことは必ず終わります。この時の期間は、おそらくダニエル書七章二十五節(新口)に述べられている同じ長さの時に相当するでしょう。それは象徴的な角である英米両国の世界強国と聖所級に対するその悪い仕打についての予言です、『彼は・・・いと高き者の聖徒を悩ます。・・・聖徒はひと時と、ふた時と、半時の間、彼の手にわたされる』この三年六ヶ月は、一九一四年の十一月の上旬に始まり、一九一八年の五月七日に終わりました。」(「御心が地に成るように」p.327.12節)

  「『聖なる民の力を打ち砕くことが終了』したのは、明らかに1918年6月21日と思われます。・・・聖書太陰暦によると、1918年6月21日は1918年タンムズ11日に当たります。それから太陰年三年前は、1915年タンムズ11日、つまり1915年6月23日になります。それから太陰年半年つまり六か月さかのぼると、1914年テベテ11日、1914年12月28日になります。−『ユダヤ一般百科』(英文)の“200年間のユダヤ暦”の項、634−639ページをご覧ください。」(「来たるべきわたしたちの世界政府ー神の王国」p.127.16,18節)

「御心」は「1914年の11月の上旬〜1918年の5月7日」、「世界政府」は「1914年12月28日〜1918年6月21日」を「3時半」の期間としている。双方に若干の日にちのズレはあるものの発想は全く同じである。「1918年5月7日」は二代目ものみの塔協会の会長J・F・ラザフォードを含む本部職員8人が逮捕された日、「1918年6月21日」はそのうちの7人に対して80年に及ぶ懲役刑が宣告された日である。
 さて、み使いの説明から明らかなように、「3時半」というのは聖なる民が迫害され、打ち砕かれる期間であるが、ここで問題となるのは「3時半」の期間の終わりをどう位置付けるかということである。聖徒たちが完全に打ち砕かれると考えるのか、それとも打ち砕かれることが終了すると考えるかによって、3時半の終わりの状況は正反対になる。
 新世界訳が「聖なる民の力を打ち砕くことが終了すると」と訳している聖句は、翻訳の仕方によっては次の二通りの異なった意味に訳出することができる。

  1. 聖なる民を迫害することが終了する。言い換えれば、聖徒たちを圧迫していた者たちの力が砕かれ、迫害が終わる。
  2. 聖なる民を完全に打ち砕く。すなわち聖徒たちが無力にさせられる。

 幾つかの翻訳を比べてみると、

となっている。
 日本聖書協会口語訳、新改訳は1の意味に、新共同訳は2の意味に解釈しているようである。
 ものみの塔協会は間違いなく1の方である。「世界政府」の本(p.127、15節)には、明確に次のように記されているからである。

  「これは言うまでもなく、エホバの『聖なる民』の力を打ち砕く政治的代理者の能力もその終わりに至る、そうする能力が効力を失うことをも同時に意味しています。ジェームス・モファット博士の聖書翻訳が訳出している通りです。『それは三年と半年であって、神聖な民を打破する者の力が尽きる時、すべて[の事柄]の終わりが到来する』。(アメリカ訳、新アメリカ聖書も参照)」

 したがって、ものみの塔協会の解き明かしでゆけば、1914年12月28日に迫害が激しくなったとしても、1918年5月7日あるいは6月21日にはそれが終了していなければならないことになる。「エホバの『聖なる民』の力を打ち砕く政治的代理者の能力もその終わりに至る」というのであれば、当然そうなってしかるべきである。
 ところがところが、預言の解釈と現実に起きていることは全く逆なのである。
 1918年6月21日には、聖なる民の力を打ち砕く政治的な権力が覆されるどころか、反対に頂点に達している。先に記したように、この日に、ものみの塔協会の会長と本部職員に対する実質上の終身刑が、アメリカ連邦裁判所により言い渡されているからである。
 こうした見事な矛盾に加えて、さらに、ものみの塔協会の解釈には重大な欠陥がある。
 み使いの説明では「3時半」が過ぎると、極めて重要な預言の幾つかが成就することになっていた。しかし、1918年6月21日を過ぎても何事も起こらなかったのである。ものみの塔協会の期待も空しく、第一次世界大戦は大患難、ハルマゲドンの戦いには至らず、1918年11月には終了してしまう。北の王や南の王が滅びてしまうこともなく、神の民が皆救われるということもなかった。もちろん死者の復活など全く生じなかった。つまり預言されていたことは、何一つ起きなかったのである。
 1918年6月21日が「3時半」の終了する日時として正しいものであれば、その時がすぎても何事も起こらないということはあり得ない。
 これは「ものみの塔協会の解釈が間違っているといえる」決定的な根拠となる。

《ダニエル7章25節の3時半》

 預言的な位置付けとしては、7章の「3時半」は12章の「3時半」と同じものと考えられている。これも非常に重要な預言の一つである。7章には、世界強国の行進と、天の法廷が開かれた後、地の支配権が最終的に誰に与えられるかが記されている。ここの「3時半」はその最終的な判決の時期と関係がある。
 最初、ダニエルは4頭の大きな獣が海から現れるのを見た。これらの獣はみな普通の獣とは異なっていたが、特に第4の獣は異常な姿をしていた。その様子について、ダニエル7:7,8は次のように記している。

 この幻の後、やがて天の法廷が開かれ判決が下される。支配権が誰に与えらるかについて、ダニエル7章13,14節は次のように述べている。

この幻の意味についてみ使いは、

と説明している。
 この解説から「3時半」は、第四の国から起こる最後の王が滅び、聖徒たちに地の支配権を与えられる時と関係のあることがわかる。人の子が支配権を得ることと、聖徒たちに支配権が与えられることは、同列に扱われている。これが、ダニエル7章の「3時半」の持つ最大の意義といえる。つまり、「3時半」がすぎると支配権は聖徒たちに与えられていなければならないのである。もし聖徒たちに支配権が委ねられないのであれば、その「3時半」の解釈は間違っていることになる。この点が、7章の「3時半」の解釈の是非を識別する最大のキーポイントになっている。
 それでは、その規準をもとにして、ものみの塔協会の解釈を検討してみることにしよう。
 次のページの図はダニエル7章の預言を解説したものである。ご覧いただければわかると思うが、小さな角は大英帝国という解釈になっている。ただ、正確には本文の説明のように米国が加わる。

   ダニエル書7章8節(新)は何と述べていますか。そうです、「三本の角」がこの「小さな角」の生える前に引き抜かれ、その小さな角は「大げさなこと」を語るのです。ですから、英国という世界強国が登場し、後に米国がそれに加わることによって、わたしたちはこの壮大な預言が完全に成就したのを見ることになります。(1981.8/15p.26 19節)

 また、ダニエル7:13,14については、

   イエス・キリストは、地上におられたとき、自分のことを人の子とくり返し語っておられました。(マタイ16:13,25:31)エルサレムの最高法廷であるサンヘドリンは、自分がだれであるかを誓にかけて言えとイエスに命じました。そのときイエスはこう語りました、「わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。(マタイ26:59〜64 新口)それでダニエルの天的な幻の中で、天の雲に乗って来たもの、そして日の老いたる者の前に連れて来られた者とは、復活を受けて栄化されたイエス・キリストです。日の老いたる方エホバは、彼と御国契約をむすびました。それでダビデ王と結ばれた御国契約により表し示されました。ダビデは、イエス・キリストの予表になっています。エホバは、霊感を受けたダビデ王を通し、御子イエス・キリストが正しい諸国民を相続し、地の果てまで所有するようエホバに願い求めよ、と預言的に招待されました。(詩編2:7,8,使徒4:24〜26新口)そのときは、「諸国民の定められた時」が一九一四年に終了したときです。さてイエス・キリストが天で待っていたその時になると、彼は日の老いたる者の法廷に現われます。彼は、全地を支配する御国契約に従い、当然彼に属すべきものを裁き主に求めます。目に見えるものと、また霊的なものとを含めて、すべての証拠は、全地の人々を支配する支配権が彼に与えられて、ダニエルの幻を成就した事を証明します。」(「御心」p185,31節)

と説明している。

ものみの塔1981.8.15, p.25 (63KB)

 これはダニエル7章の「3時半」と12章の「3時半」を同じ期間とする見解で、「世界政府」の本の126ページ14節には

  「この三時半の『定めれた時』がダニエル7章25節に述べられている三『時』半と同じ期間に相当すると考えるのは道理にかなっています。」

と記されている。
 したがって、ものみの塔協会の説く「3時半」は、
「1914年12月28日〜1918年6月21日」までということになる。
 しかし、この解釈も12章の「3時半」同様、全く成立し得ないものである。間違っているといえる決定的な根拠は次の二点である。

  1. 聖徒たちに地の支配権は与えられなかった
      現実は預言そのものとは正反対である。聖徒たちに(ものみの塔協会を聖徒の集合と仮定した上でのことだが)支配権が与えられるどころか、逆に聖徒たちの代表は投獄されてしまった。
      ものみの塔協会は、天に聖徒が復活して集められたのではないかと主張するかもしれないが、そういう論議は成立しない。なぜなら、ダニエル書が問題にしているのは天の聖徒たちではなく、地上の聖徒たちだからである。

  2. 聖徒を迫害する王が滅ぼされてはいない
     「3時半」が終了してすでに70年が経過しようとしているが、小さな角は依然として存続している。
     加えて問題となるのは、預言的な出来事が生じる順序である。み使いの説明では、「第四の獣から生じる角が3時半聖なる者たちを悩まし、苦しめてからその後に王権が聖徒たちに与えられる」ことになっている。つまり、神の王国が設立されるのは7章26,27節にあるように聖徒たちが迫害に苦しんだ後、そしてその聖徒たちに戦いを挑んだ王が滅ぼされてからである。
     ところがものみの塔協会の解釈では、順序が全く逆になっている。「1914年に10月に天に王国が設立され、キリストが王権を受けた。それから3時半が始まる」というのである。
     何故こういう聖句の文脈を無視するような解釈が出てくるかと言えば、それはものみの塔協会にとって、1914年が生命線とも言えるような年で、絶対に捨てられない教理になっているからである。1914年を最大のセールス・ポイントにして人々を集めてきた以上、これは無理からないことかも知れないが。

 2300日、3時半の他にもまだまだ変な預言の解釈はたくさんある。ダニエル12:11,12に出てくる1290日、1335日の解釈などもおよそ成立し得ないものである。そのすべてを論じてゆくと長くなるので、最後に一つだけ、いかにものみの塔協会が勝手に預言の解釈をやっているかということを示す、典型的な例を付け加えることにする。

(3) 黙示録の二人の証人と三日半

 黙示録11章の前半には二人の証人の活動について記されている。彼らは1260日の間、粗布を着て預言することになっている。その後二人の証人がどうなるかは、11章7〜11節に次のように述べられている。

 二人の証人は1260日の間預言した後、底知れぬ深みから上がってくる獣に殺される。しかし、三日半の後に、神の力によって復活させられる。
 ものみの塔協会の主張では、二人の証人とは「油注がれた者たち」つまり、天に行く人々の中でまだ地上に生き残っている者たちということになっている。2という数字は文字通りの数ではなく、象徴的なものと考える。だから、二人の証人は何人いてもかまわないことになる。二人の証人が殺されるというのも、文字通り死ぬことではなく、象徴的な死、すなわち無活動状態になることとみなしている。
 いつ二人の証人が殺されたのか、また殺されたままでいる「3日半」とはいつからいつまでなのか、その点について「その時、神の秘義は終了する」という本は、次のように説明している。

  「ふたりの証人」が「粗布を着て」預言した年数は三年半です。しかし、彼らが都市の大通りに死んで横たわっていた三日半の期間は、エゼキエル書4章6節にあるように、各一日を一年の象徴とし、三日半と解してはなりません。啓示11章9−11節に明記されている「三日半」は、油そそがれた残りの者の公の証言活動が不活発となる、また、彼らの敵が悪意をもってほくそえむ、極めて短い期間を表わしています。この「三日半」は1919年3月に終了しました。ものみの塔聖書冊子協会の代表者八人の釈放を求める請願書が、署名をする人たちの間に回されていましたが、その請願書がアメリカ合衆国の油そそがれた残りの者たちによって完成させられる前の1919年3月21日に、連邦刑務所の八人の囚人は保釈を認められました。」(p.304,305 下線は発行者)

 本来、「三日半」に対する考え方は二通りしかない。文字通りの三日半と考えるか、一日を一年と計算して三年半とするかのいずれかである。ものみの塔協会の「単なる短い期間の象徴」というのは、まさに苦肉の策である。彼らにとっては都合の悪いことに、現実が預言された期間と全く合わなかったのである。
 ものみの塔協会の幹部が逮捕されたのが「1918年5月7日」、判決が言い渡されたのが「1918年6月21日」、そしてかの有名なアトランタ刑務所に送られたのが「1918年7月4日」である。釈放されて生き返ったとされるのは「1919年3月」なので、死んでいた期間は「約8か月〜10か月」となり、3日半とは大幅に異なる。
 これではどう工夫してもだめである。「文字通りの3日半でも3年半でもありません」と言わざるを得ない。つじつまをあわせるには、「単なる短い期間の象徴」とせざるを得ないわけである。
 なぜ各一日を一年の象徴とし、三年半と解してはなりませんと言えるのですかと問われたら、おそらく返答に窮するであろう。
 この三日半の解釈にはさらに二つの問題がある。一つは、ものみの塔協会の役員が逮捕された「1918年5月7日」と、預言の期間「1260日」が終了したとされる1918年3月26(27)日に、一か月以上のズレがあるという点である。二人の証人は預言を終えてすぐ殺されることになっているのだから、こう期間があいてはまずいわけで、ものみの塔協会も説明のしようがなかったのか、この点についてはノーコメントである。(もっとも以前は荒布を着て預言するの意味を変えて期間を合わせていたようではあるが)
 もう一つは「3時半」の解釈との矛盾である。1914年10月〜1918年3月の期間は「3時半」のところでは「常供の供え物が取り除かれる期間」とされていた。常供の捧げ物とは霊的な犠牲、その代表的なものは公の宣明つまり伝道のことである。従って、「3時半」の解釈でいけば、1914年10月〜1918年3月の期間中は、顕著な伝道は行なわれてはならないことになる。ところがこの期間は同時に二人の証人が世界中に預言する「1260日」でもあるという。預言するということは当然伝道するわけで、3時半の期間とは意味が正反対になっている。常供の供え物が廃されて死んだようになる期間と荒布を着て預言する期間が同じというのは、どう考えても矛盾していると言わざるをえない。
ある部分は字義通りに取り、ある部分は単なる象徴と取る。どう考えても合わない場合はそこを無視してしまう。組織の都合で預言の解釈を決定するとどうなるかを示す典型的な例である。

(4) 将来のビジョンの崩壊

 今までの事例を見てすでにお気付きと思うが、ものみの塔協会の預言の解釈の間違いは枝葉末節のレベルのものではない。その欠陥はより本質的なものであり、問題の根は深い。  先にも触れたが、これは預言の解釈の根本、その土台に原因があるせいに他ならない。ものみの塔協会の教義の体系は組織論に大きく支配されており、預言もその例外ではない。さらに、預言の体系には組織の背景もあって、1914年の教理が大きな影を落としている。土台が二つも間違っているわけだから、その上に建てられる家が崩れて行くのは当然であろう。
 時節の解釈が現実と全く合わなくなっているのは1914年の教理のせいである。この教理を何とかしないことには、正しい預言年を見定めることは永久に不可能であろう。
 また、預言適用の対象が間違っているのは、特にキリスト教という畑に生じることになっている預言の解釈であるが、ものみの塔協会の組織論が間違っているせいである。
 そもそも預言の解釈というのは、現実に預言されていた出来事が生じなければ、成就とは言わないのである。ところが、ものみの塔協会の解釈には霊的成就が非常に多い。
 この霊的成就というのが曲者なのである。霊的な成就だとはっきり見定めることが難しい。成就したと言えばそう言えなくもないが、何ともすっきりしない気分が残る。死んだといっても、本人たちはしっかり生きているし、復活したというのは、単に元気になったことではないかということになるからである。

《組織論と1914年の教理の崩壊が意味すること》

 これは、エホバの証人にとっては極めて大きな意義を持つ。というのは、預言に基づいて組み立てられた将来のビジョンが崩壊してしまうからである。
 組織論と1914年の教理が崩れてしまうと、残るのは「大患難が来る、ハルマゲドンが生じる、千年統治が行なわれる、パラダイスは復興する」などの、いわゆる誰が解いてもたいして変わらない部分くらいしかなくなってしまう。ものみの塔協会の特徴となっている預言の解釈はすべて崩壊してしまうのである。
 次の点も将来深刻な問題になる可能性が高い。組織論、1914年の教理に基づくと、イザヤ書、エゼキエル書、ゼカリヤ書、黙示録などのかなりの部分がすでに霊的に成就してしまったことになっている。しかし、それらの多くがまだこれから文字通り成就するとすればどうなるであろうか。ものみの塔協会はそうした事態の意味がわからず(本能的にその意味は悟るが)、対応することができなくなってしまうと予想される。その指導に従ったエホバの証人も、同じ運命をたどることになろう。
 もう一つ問題なのは組織の幹部の動機である。彼らは真理を求めているのではない。心の中では、組織の都合、組織の利益しか考えていない。わからなくなっても正直に認めることは、ほとんど期待できないのである。おそらく何とかごまかして、ひたすら組織の存続を計ろうとするであろう。
 彼らは「平和でないのに平和だ」という古代の宗教指導者に非常によく似ている。たくさん犠牲を捧げていれば大丈夫だと考えている点もそっくりである。内面の清さは脇において、戒律を不器用に守っていれば清いのだと教えている点でも実によく似ている。
 こういう動機の人々に、神とキリストが預言の正しい解釈を啓示することなど、それこそ絶対にあり得ない。これは大きな問題になる。現時点ですべての預言が解かれているわけではないからである。これから理解の増し加わる預言は多いはずである。動機が問題なのはその点で致命傷になる。
 確実に言えることは、現在のものみの塔協会の預言のビジョンでは、ハルマゲドンに至る前に対応が非常に難しくなってしまうということである。特に黙示録の解釈の間違いは決定的なものとなるであろう。エホバの証人には次の聖句をよく考えてみることを勧めたい。

「19 したがって、わたしたちにとって預言の言葉はいっそう確かなものとなりました。そしてあなた方が、夜があけて明けの明星が上るまで、暗い所に輝くともしびのように、心の中でそれに注意を払っているのはよいことです。
20 なぜなら、あなたがたはまずこのことを知っているからです。つまり、聖書の預言はどれも個人的な解釈からは出ていないということです。
21 預言はどんなときにも人間の意志によってもたらされたものではなく、人が聖霊に導かれつつ、神によって語ったものだからです。」 (IIペテロ 1:19-21 新世界訳)