前書き

平凡社の大百科事典には、エホバの証人について述べている次のような一文がある。

「死んでも忠実を守った<証言の長>イエスのように、信者は神の証人として絶対に嘘を言わず……」
註:現在の版に、この記述はありません)

一般にエホバの証人は狂信的で閉鎖的な宗教団体として紹介されることが多いが、正直で嘘をつかないという点だけは認められてきた。

その評価を裏切らないよう大勢のエホバの証人は正直に行動し、クリスチャンとして正しい生き方を実践するよう努めている。しかし組織を指導し、監督する立場にいる幹部クラスの中には、嘘をつくことなど何とも思わない偽善的な人々がおり、組織全体の体質に大きな影響を与えている。このような実態は今回私たちが遭遇した事件によって、初めて明らかになった。

上部の腐敗のひどさは予想をはるかに越えており、偽善と組織崇拝というものみの塔協会の体質の劣悪さには私たちもショックを受けた。

当初、私たちは統治体(エホバの証人の最高指導機関)が真実を知れば、腐敗した体質を改善してくれるものと期待していた。それくらいの自浄作用はものみの塔協会にも残っているだろうと考えていた。しかし、予想はすべて外れ、期待はことごとく裏切られた。彼らは真理を愛する者ではなく、むしろ逆に、真実に敵対するものであった。

ものみの塔協会の頑なさは、ステファノに糾弾された一世紀の宗教指導者の態度に匹敵するものである。キリストを殺害した彼らに向かってステファノはこう述べた。

「かたくなで、心と耳に割礼のない人たち、あなた方はいつも聖霊に抵抗しています」(使徒7:51)

もはや、ものみの塔協会には真実を聞くことのできる心も耳もない。その首は鋼鉄、心は石のようであった。

今後の動きを見なければ最終的な判断は下せないが、今までの反応を見ると、少なくとも現時点では、偽善的な体質を改め、組織支配を止める気は、彼らにはまったくないようである。このまま進んでゆけば、やがてキリストが偽善者に対して述べた次の言葉が、ものみの塔協会にも成就することになるだろう。

「彼らは盲目の案内人なのです。それで、盲人が盲人を案内するなら、二人とも穴に落ち込むのです。(マタイ15:14)

偽善的な体質が合っているという人は今のままで良いかもしれないが、多くのエホバの証人はそうではないはずである。真実を知り、偽善か真理か、真の崇拝か組織崇拝か自らの信仰で選ぶ権利がある。

現在、ものみの塔協会はひたすら真実を覆い隠そうと努めている。おそらく今後は、ますます内部統制を強めてゆくものと予想される。エホバの証人に真実を伝えるのは非常に難しくなると思うが、この本がその点で少しでも役立てばと願っている。

さらに私たちは、本書の発行が「天の法廷に対する広島会衆の提訴である」と考えている。

ものみの塔協会は自らをエホバの証人と称しながら、偽善と組織崇拝を行って神の名を汚し続けている。成員に非常に重いくびきを課し、エホバの神性に敵対し続けている。もし神がこのような状況を許し、今後も放置しておくなら、その存在と神性が問われることになろう。

果たして本当に神はエホバなのか。エホバは天と地の主権者で、決して侮られるような方ではないということを立証するのか。

それとも、単に名目上の存在にすぎず、何ら実質のない神なのか。エホバとは統治体、ものみの塔協会の言いなりにしかならないような神なのか。

私たちはこの事件簿を天の法廷に対する提訴として発行することにより、これらの点を確かめたいと思っている。

※ できればものみの塔協会や事件の当事者たちの反論や異議を載せたいと思い、その旨を伝えてみたが、ものみの塔協会からは何の連絡もなかった。また、小熊○○氏は、藤原、瀬野、笹山氏等の当事者を代表してこの原稿の受け取りを拒否した。